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大同 ダイドウ

デジタル大辞泉の解説

だい‐どう【大同】

だいたい同じであること。「小異を捨てて大同につく」
一つの目的のために多くの者が一つにまとまること。

だいどう【大同】[地名]

中国山西省北部の炭鉱・工業都市。近郊に雲崗石窟(うんこうせっくつ)がある。人口、行政区153万(2000)。タートン

だいどう【大同】[年号]

平安初期、平城(へいぜい)天皇嵯峨天皇の時の年号。806年5月18日~810年9月19日。

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百科事典マイペディアの解説

大同【だいどう】

中国,山西省北部の都市。長城近くにあって,中国本土と内モンゴル各地との交易の中心,京包(北京〜パオトウ)・同蒲(大同〜孟【げん】)両鉄路が交差し,古来軍事・交通・経済の要地として栄えた。
→関連項目炭田

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

大同 だいどう

1731-1786 江戸時代中期の僧。
享保(きょうほう)16年生まれ。浄土真宗。僧樸にまなび,道心ふかく,その行儀は真宗律とよばれる。本願寺派の筑前(ちくぜん)(福岡県)教法寺の住職となり,筑前学派をきずく。詩文をよくし,亀井南冥(なんめい)らとまじわった。天明6年4月死去。56歳。筑前出身。号は玄澥。著作に「陳善院僧樸年譜」「玄澥余稿」など。

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世界大百科事典 第2版の解説

だいどう【大同 Dà tóng】

中国,華北地区,山西省北部の鉱工業都市。省直轄市だが雁北地区の行政機関所在地でもあり,大同県ほか6県を管轄する。人口260万(うち市部116万。1994)。北は外長城線を境に内モンゴル自治区に接し,海河水系の永定河の上流である桑乾河(そうかんが)の支流の御河に沿う。周辺は中国有数の大炭田で,京包(北京~包頭),同蒲(大同~孟塬),大秦(大同~秦皇島)の3鉄路が通じる。歴史的都市でもあり,古来,北方の遊牧民族に対する防衛拠点で,軍事上の要地として知られていた。

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大辞林 第三版の解説

だいどう【大同】

大筋において同じであること。 「小異を捨てて-に就く」
目的を同じくする者が一つにまとまること。
〔礼記 礼運〕 中国で、公平で平和な理想的社会を表す語。

だいどう【大同】

中国、山西省北部にある都市。河北省と内モンゴル自治区とを結ぶ交通の要衝。大同炭田を控え機械・セメントなどの工業が盛ん。西郊に雲崗うんこうの石窟がある。タートン。

だいどう【大同】

年号(806.5.18~810.9.19)。延暦の後、弘仁の前。平城へいぜい・嵯峨さが天皇の代。

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日本の元号がわかる事典の解説

だいどう【大同】

日本の元号(年号)。平安時代の806年から810年まで、平城(へいぜい)天皇、嵯峨(さが)天皇の代の元号。前元号は延暦(えんりゃく)。次元号は弘仁(こうにん)。806年(延暦25)5月18日改元。平城天皇の即位にともない行われた(代始改元)。平城天皇は桓武(かんむ)天皇の皇子で、廃太子された叔父の早良(さわら)親王(桓武の弟)に代わって皇太子となり、桓武の崩御にともない即位した。天皇は朝廷の政治・財政改革に取り組んだが、在位3年目の809年(大同4)、病気のため弟の嵯峨天皇に譲位して太上天皇(上皇)となり、旧都・平城京に移り住んだ。しかし、嵯峨天皇との対立が起こって朝廷が分裂し、翌810年(弘仁1)には薬子(くすこ)の変(平城太上天皇の変)へと発展した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

大同
だいどう / タートン

中国、山西省北部の市。永定(えいてい)河の上流桑乾(そうかん)河や、その支流御河(ぎょか)が黄土高原を侵食してつくる盆地(桑乾盆地、大同盆地)の北西部に位置する。同名の県が市の東にある。人口132万2561(2000)。市の北は万里の長城を境にして内モンゴル自治区と接する。古来、北方遊牧民族と漢民族との接触地帯にある要衝の地で、漢民族の勢力が安定しているときは、中原や華北の地を守る最前線の拠点となったが、国内が乱れると、まず北方民族が侵入し、彼らの拠点をつくる地となった。この性格を示すように、万里の長城も大同の北を走る外長城と別に、南にもう1本、内長城(前者を辺墻(へんしょう)、後者を次墻(じしょう)とも称する)が築かれている。漢代には辺縁の雁門(がんもん)郡に属し平城県が置かれた。しかし後漢(ごかん)末に国内が乱れると、北方民族の一つである鮮卑(せんぴ)の占拠するところとなり、晋(しん)の永嘉(えいか)年間(307~312)に鮮卑の一部族である拓跋(たくばつ)部がここに南方侵入の拠点をつくってしだいに勢力を拡大した。やがて国名を魏(ぎ)(北魏)とし、盛楽(せいらく)(現在の内モンゴル自治区ホリンゴル付近)を北都、平城を南都として華北一帯の諸部族国家を併合し、398年平城を国都(代都)と定め、他地方から多くの住民を移住させ付近の開発に努めた。以後、孝文帝が494年に洛陽(らくよう)へ都を移すまで、中国北部の政治の中心地であった。その後もしばしば南下を図る北方異民族の跳梁(ちょうりょう)する地となり、とくに北京(ペキン)に都が置かれた時代には西北防御の要(かなめ)であった。明(みん)代には大同五衛などの軍事施設が設けられて、大同はその中心となり、前述の二重構造の長城が築かれたのもこのころである。市街も明代に増築され強固な城壁に囲まれている。
 経済的には、モンゴル高原の遊牧民族の産する皮革、羊毛などの物産の集積地として発展し、現在も北京、太原、内モンゴルをつなぐ鉄道(京包(けいほう)・同蒲(どうほ)鉄道)の交差点にあって交通の中心地である。解放以後は山西省の石炭生産の中心地となり、全国でも有数の産出量を誇る。とくに優良な炭質と豊富な埋蔵量が特徴である。そのほか関連工業や食品工業が発展し、山西省第二の工業都市となっている。北魏の都であったとき、市の西、武周(ぶしゅう)山の山麓(さんろく)に開削された雲崗石窟(うんこうせっくつ)は、中国三大石窟の一つとして有名である。そのほか遼(りょう)・金時代の華厳(けごん)宗の中心であった華厳寺、唐代創建の善化寺などがある。[秋山元秀]

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