多布原村(読み)とうばるむら

日本歴史地名大系 「多布原村」の解説

多布原村
とうばるむら

「宇佐大鏡」に宇佐宮領の散在常見名田のうちに上毛こうげ郡「多布原畠地五十町」がみえる。当村はこれを継承し、宇佐宮祠官および上毛郡司の田部一族により開発・維持された(豊前市史)。現大字上唐原かみとうばる・下唐原一帯に比定されるが、ほぼ同じ地に存在した多布郷との関係は判然としない。建保五年(一二一七)正月二二日の大宰府守護所下文案(末久文書/鎌倉遺文四)に「吉富貞富多布原村」とあり、相論の結果、吉富よしとみ名の地頭職は田部太子に安堵され、多布原村は吉富名内であることがわかる。正応六年(一二九三)七月一〇日の丹波有光文書紛失状(薬丸文書/鎌倉遺文二四)には有光の文書紛失に関する「在地随近」の証判者として、「地頭御代官沙弥行意」から「多布原村公文僧如実」までの一九人がみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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