朝日日本歴史人物事典 「多政方」の解説
多政方
生年:生年不詳
平安時代中期の雅楽奏者。宮廷勤仕の地下楽家のひとつ,多家の出。祖の自然麻呂より8代目に当たる。正方,正賢,雅方,政賢とも。雅楽一の者を26年勤める。周防守,右近将監。専門は御神楽の人長(舞),笛。故事によれば,藤原俊家が若かりしころ,宿直を終えた朝,紫宸殿に咲く満開の桜を眺めて思わず口ずさんだ催馬楽の「桜人」の歌を聞き,政方はすかさず花の下に進み出て高麗楽の「地久ノ破」を舞い,さらに「蓑山」の歌に対して「地久ノ急」を舞った(高麗楽の「地久ノ破」と「地久ノ急」は,催馬楽の「桜人」と「蓑山」の原曲とされる)。このような時宜を得た芸のやりとりを称賛した故事が『糸竹口伝』『古今著聞集』にみえ,当時の風雅な生活が偲ばれる。
(蒲生美津子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報