後冷泉天皇(読み)ゴレイゼイテンノウ

デジタル大辞泉 「後冷泉天皇」の意味・読み・例文・類語

ごれいぜい‐てんのう〔‐テンワウ〕【後冷泉天皇】

[1025~1068]第70代天皇在位、1045~1068。後朱雀天皇の第1皇子。名は親仁ちかひと。母は藤原嬉子ふじわらのきし。母の兄、藤原頼通が関白として権勢を振るった。後拾遺集金葉集新古今集などに御製がある。

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精選版 日本国語大辞典 「後冷泉天皇」の意味・読み・例文・類語

ごれいぜい‐てんのう‥テンワウ【後冷泉天皇】

  1. 第七〇代の天皇。名は親仁(ちかひと)。後朱雀天皇の皇子。母は藤原道長の女嬉子。寛徳二年(一〇四五即位。在位二四年。関白藤原頼通の時代で、「前九年の役」があった。万寿二~治暦四年(一〇二五‐六八

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「後冷泉天皇」の意味・わかりやすい解説

後冷泉天皇
ごれいぜいてんのう

[生]万寿2 (1025).8.3. 京都
[没]治暦4 (1068).4.19. 京都
第70代天皇(在位 1045~68)。名は親仁(ちかひと)。後朱雀天皇の第1皇子。母は贈皇太后藤原嬉子(太政大臣藤原道長の娘)。寛徳2(1045)年践祚,次いで即位。当時は藤原氏全盛期であった。治暦3(1067)年,藤原頼通の建立した宇治平等院行幸して 3日滞在し,頼通を准三宮に叙し,特に封 300石ならびに年官年爵食封(じきふ)3000戸そのほかを授けた。陵墓は京都市右京区の円教寺陵(えんきょうじのみささぎ)。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「後冷泉天皇」の意味・わかりやすい解説

後冷泉天皇
ごれいぜいてんのう
(1025―1068)

第70代天皇(在位1045~68)。名は親仁(ちかひと)。後朱雀(ごすざく)天皇の第1皇子。万寿(まんじゅ)2年8月3日誕生。母は贈皇太后藤原嬉子(きし)(太政(だいじょう)大臣道長の女(むすめ))。1037年(長暦1)8月立太子、45年(寛徳2)4月即位。在位中は藤原氏の摂関政治が盛んで、関白頼通(よりみち)の専権が目だつ。宇治に平等院を建立して優美を尽くした頼通は、67年(治暦3)天皇の行幸を仰いで准三后(じゅさんごう)に叙され、「名は君臣なれど義は父子の如(ごと)し」との勅語を賜るほど強大な権勢を示した。しかし頼通には次代に外戚(がいせき)の地位を維持できない状況のなかで、51年(永承6)には陸奥(むつ)に前九年の役が起こって辺境が動揺、また新立荘園(しょうえん)停止の気運が高まるなど、天皇の治世末期には、全盛を極めた摂関政治にも陰りが生じていた。治暦(じりゃく)4年4月19日没。陵墓は京都市右京区竜安寺朱山(りょうあんじしゅやま)の円教寺陵。

谷口 昭]

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「後冷泉天皇」の解説

後冷泉天皇 ごれいぜいてんのう

1025-1068 平安時代中期,第70代天皇。在位1045-68。
万寿2年8月3日生まれ。後朱雀(ごすざく)天皇の第1皇子。母は藤原嬉子(きし)。父の死により即位。母の兄藤原頼通が先帝時代につづき関白をつとめる。在位中,浄土思想がさかんになり,宇治に平等院阿弥陀堂(鳳凰堂)がつくられた。また陸奥(むつ)安倍氏による前九年の役がおこった。治暦(じりゃく)4年4月19日死去。44歳。墓所は円教寺陵(えんきょうじのみささぎ)(京都市右京区)。諱(いみな)は親仁(ちかひと)。日記に「後冷泉院御記」。
格言など】岩まより流るる水は早けれどうつれる月の影ぞのどけき(「後拾遺和歌集」)

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朝日日本歴史人物事典 「後冷泉天皇」の解説

後冷泉天皇

没年:治暦4.4.19(1068.5.22)
生年:万寿2.8.3(1025.8.28)
平安中期の天皇。名は親仁。後朱雀天皇の東宮時代に第1皇子として誕生したが,生母の藤原嬉子(道長の娘)は直後に他界。長元9(1036)年,12歳で親王宣下を受け,翌年東宮となり,寛徳2(1045)年,父の死で即位。道長の婚姻策成功により在位23年余,このため藤原頼通は摂関を半世紀も務めることになった。この天皇を最後に摂関の権力は弱体化の一途をたどった。父の発願による円乗寺は後冷泉天皇のとき落慶供養をみた。妃に章子内親王(後一条の皇女),寛子(頼通の娘),歓子(教通の娘)がいるが子に恵まれなかった。陵は京都市右京区竜安寺朱山の円教寺陵。

(朧谷寿)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

山川 日本史小辞典 改訂新版 「後冷泉天皇」の解説

後冷泉天皇
ごれいぜいてんのう

1025.8.3~68.4.19

在位1045.1.16~68.4.19

後朱雀(ごすざく)天皇の第1皇子。名は親仁(ちかひと)。母は藤原道長の女嬉子(きし)。1036年(長元9)父後朱雀の即位によって親王になり,翌年皇太子に立った。45年(寛徳2)父の譲位をうけて践祚し,44歳で死去するまで在位した。皇子女がなく,皇位は弟の後三条天皇に継承された。

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報

旺文社日本史事典 三訂版 「後冷泉天皇」の解説

後冷泉天皇
ごれいぜいてんのう

1025〜68
平安中期の天皇(在位1045〜68)
後朱雀 (ごすざく) 天皇の皇子。母は藤原道長の娘嬉子 (きし) 。在位中,新立の荘園を停止させる(1055)など政治の刷新を行ったが,藤原頼通が関白として実権を握っていた時代で,前九年の役がおこるなど地方政治は乱れ,治安が悪化した。

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367日誕生日大事典 「後冷泉天皇」の解説

後冷泉天皇 (ごれいぜいてんのう)

生年月日:1025年8月3日
平安時代中期の第70代の天皇
1068年没

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