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後朱雀天皇 ごすざくてんのう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

後朱雀天皇
ごすざくてんのう

[生]寛弘6 (1009).11.25. 京都
[没]寛徳2 (1045).1.18. 京都
第69代天皇(在位 1036~45)。名は敦良(あつなが)。一条天皇の第3皇子。母は中宮上東門院彰子(藤原道長の娘)。長元9(1036)年践祚し,次いで即位した。寛徳2(1045)年譲位して薙髪し,即日薨じた。在位中は関白藤原頼通の権力が強く,天皇の意のままにはならなかった。陵墓は京都市右京区の円乗寺陵(えんじょうじのみささぎ)。

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百科事典マイペディアの解説

後朱雀天皇【ごすざくてんのう】

平安中期の天皇。在位1036年−1045年。(いみな)は敦良(あつなが)。一条天皇の第3皇子で,母は彰子(上東門院)。1036年即位,1045年病により親仁親王(後冷泉天皇)に譲位。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

後朱雀天皇 ごすざくてんのう

1009-1045 平安時代中期,第69代天皇。在位1036-45。
寛弘(かんこう)6年11月25日生まれ。一条天皇の第3皇子。母は藤原彰子(上東門院)。同母兄後一条天皇の死により即位。藤原頼通(よりみち)が先帝時代につづき関白をつとめる。興福寺や延暦(えんりゃく)寺の僧徒がしばしば騒ぎをおこし,京中で放火が頻発するなど,世情は不安だった。寛徳2年1月18日死去。37歳。墓所は円乗寺陵(えんじょうじのみささぎ)(京都市右京区)。諱(いみな)は敦良(あつなが)。法名は精進行。日記に「後朱雀天皇御記」。
【格言など】春雨のふりしくころは青柳のいとみだれつつ人ぞ恋しき(「新古今和歌集」)

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朝日日本歴史人物事典の解説

後朱雀天皇

没年:寛徳2.1.18(1045.2.7)
生年:寛弘6.11.25(1009.12.14)
平安中期の天皇。名は敦良。一条天皇の第3皇子で母は中宮彰子(藤原道長の娘)。兄後一条天皇とは年子で土御門殿において生まれた。生後1カ月余で親王宣下を受け,9歳で後一条天皇の皇太弟となる。これは外祖父藤原道長が東宮敦明親王を退任に追いこんだ結果である。兄の死により長元9(1036)年,即位。しかし9年後に病を得て子の後冷泉天皇に位を譲り,2日後に出家し崩じた。後冷泉の母は道長の娘嬉子で,15歳のとき2歳下の東宮敦良親王に入内しており,道長による叔母と甥の結婚策である。在任中は頼通が関白。陵は京都市右京区竜安寺朱山の円乗寺陵。

(朧谷寿)

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世界大百科事典 第2版の解説

ごすざくてんのう【後朱雀天皇】

1009‐45(寛弘6‐寛徳2)
第69代に数えられる天皇。在位1036‐45年。一条天皇の第3皇子,母は太皇太后彰子(上東門院,藤原道長の女)。諱(いみな)は敦良。1017年(寛仁1)に三条院の皇子敦明親王の東宮辞退後,同母兄後一条天皇の皇太弟となる。36年(長元9)後一条天皇が没し,即位。翌年(長暦1)2月,三条皇女禎子内親王(母は道長の女妍子)を皇后とし,ついで翌3月関白頼通の養女嫄子(一条皇子敦康親王の女)を皇后とした。45年正月,病により皇子親仁親王(後冷泉天皇)に譲位,2日後に没す。

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大辞林 第三版の解説

ごすざくてんのう【後朱雀天皇】

1009~1045) 第六九代天皇(在位1036~1045)。名は敦良あつなが。一条天皇の第三皇子。母は藤原道長の女むすめ上東門院彰子。在位中は藤原氏の全盛期で、頼通が関白であった。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

後朱雀天皇
ごすざくてんのう
(1009―1045)

平安後期の天皇(在位1036~45)。名は敦良(あつなが)。一条(いちじょう)天皇の第3皇子。母は藤原道長(みちなが)の娘上東門院彰子(じょうとうもんいんしょうし)。当時、政治の主導権は道長から子頼通(よりみち)に引き継がれていたが、摂関家(せっかんけ)の全盛期は過ぎていた。1040年(長久1)に、実施はされなかったらしいが、荘園(しょうえん)整理令を発議、この内容は後の寛徳(かんとく)・延久(えんきゅう)の整理令に継承されるもととなっている。病気により位を子に譲ると(後冷泉(ごれいぜい)天皇)、頼通の反対を押し切って尊仁(たかひと)親王を新帝の皇太弟(こうたいてい)に定め(後の後三条(ごさんじょう)天皇)、院政への道を開いた。寛徳2年1月18日死去。陵墓は京都円乗寺陵。[川島茂裕]

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367日誕生日大事典の解説

後朱雀天皇 (ごすざくてんのう)

生年月日:1009年11月25日
平安時代中期の第69代の天皇
1045年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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