第71代に数えられる天皇。在位1068-72年。後朱雀天皇第2皇子,母は太皇太后禎子内親王(陽明門院)。諱(いみな)は尊仁。1045年(寛徳2)異母兄親仁親王(後冷泉天皇)即位に際し東宮となる。摂関家は直接外戚関係のない尊仁の立太子を喜ばず,関白頼通は女寛子を,彼の同母弟教通は女歓子を後冷泉天皇に入れたが子どもに恵まれず,尊仁は彼らの圧迫をうけながらもその地位を保ち,68年(治暦4)後冷泉天皇が没すると35歳で即位。頼通はその前年関白を辞し,教通が関白となる。天皇の母は頼通らの父道長と対立して不遇であった三条天皇の皇女であったし,頼通らの圧迫も経験したので,即位後は外戚関係の薄くなった摂関家を抑えて親しく政治を行い,村上源氏の源師房や,東宮時代から側近にあった学者出身の大江匡房らを重用した。しかし天皇は公明正大で,東宮時代に摂関家に同調して冷淡な態度をとった者でも能力あるものは用い,政治の刷新に努めた。1069年(延久1)2月,さきに新立荘園停止令が出された1045年(寛徳2)以後新置の荘園と,それ以前の荘園で券契不明で国務を妨げるものを停止し,同年閏10月に記録荘園券契所を設けた。摂関家が券契の提出を拒んだことが伝えられるが,実際には天皇の方針に従ったらしく,この延久荘園整理令はかなり効果があったと考えられる。天皇は一方で後三条勅旨田とよばれる皇室領を設置している。また公定価格を定める估価(こか)法や,標準の枡(宣旨枡)を定める斗升法など経済的施策を行った。また円宗寺(もと円明寺)を建て,1072年(延久4)ここで最勝・法華二会を修した。同年2月皇太子貞仁親王(白河天皇)に譲位,翌年5月没。なお天皇は譲位後,院政を行う意志があったとの説が古くからあるが,まだ結論は下し得ない。天皇は学問に優れ,《後三条天皇御記》(《延久御記》)を記したが,逸文のほかは伝わらない。陵は円宗寺陵(京都市右京区)である。
執筆者:黒板 伸夫
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(朧谷寿)
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平安後期の天皇(在位1068~72)。名は尊仁(たかひと)。長元(ちょうげん)7年7月18日生まれ。後朱雀(ごすざく)天皇の第2皇子。母は三条天皇皇女陽明門院(ようめいもんいん)禎子内親王。このころまでの天皇は藤原摂関(せっかん)家を外戚(がいせき)としていたから、皇族を母としたのはまれな存在であったが、父の遺言により皇位につくことができた。おもな施策としては以下のとおり。延久(えんきゅう)の荘園(しょうえん)整理令の発布(1069)と、これを実施するための記録荘園券契所(きろくしょうえんけんけいじょ)(記録所)の設置。新たな公定枡(ます)として延久の宣旨(せんじ)枡の指定と、これに基づき荘園・公領を問わず全国的に行う一国平均役の徴収。国衙(こくが)によって作成され、中世における土地の基本台帳となった大田文(おおたぶみ)の作成、全般的にみて藤原氏一族でも反摂関家的立場にあった中流貴族や、受領(ずりょう)層・皇族出身者の登用、成功(じょうごう)や重任(ちょうにん)を抑制しようとする政策などを行った。このような新政策は院政に継承され、中世的な国家体制への出発点ともなった。ただし、即位5年で譲位したことによる院政政治への意図については不明の点が多い。延久5年5月7日死去。御陵は京都市右京区竜安寺朱山(りょうあんじしゅやま)の円宗寺(えんしゅうじ)陵。
[川島茂裕]
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1034.7.18~73.5.7
在位1068.4.19~72.12.8
後朱雀天皇の第2皇子。名は尊仁(たかひと)。母は禎子内親王(陽明門院,三条天皇の皇女)。1045年(寛徳2)死に臨んだ父によって皇太子に立てられる。関白藤原頼通はこれに異を唱え,陰に陽に圧迫もあったが,68年(治暦4)異母兄後冷泉天皇が嗣子なく死去したため即位した。荘園整理政策や記録荘園券契所の設置,宣旨枡(せんじます)の制定など,みるべき治績を残す。72年(延久4)長子の皇太子(白河天皇)に譲位し,同時に2歳の次子(実仁(さねひと))を立太子させた。譲位の目的は実仁立太子にあったとみられ,院政の傾向を示すが,病気により翌73年に出家し,譲位の半年後に死去した。
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…後三条天皇の第3皇子。母は源基子。…
…延久年間(1069‐74)に後三条天皇の勅命によって制定された平安時代中期の公定枡。延久宣旨枡ともいう。…
※「後三条天皇」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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