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多治比嶋 たじひのしま

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朝日日本歴史人物事典の解説

多治比嶋

没年:大宝1.7.21(701.8.29)
生年:生年不詳
7世紀末の官人。宣化天皇の玄孫で,多治比王の子。池守,県守,広成らの父。天武11(682)年,筑紫大宰 の任にあり,大鐘を貢じ,翌年1月には三足雀を献じた。持統天皇即位のとき,賀騰極を奏し,右大臣に就任し,封500戸を賜った。持統10(696)年,その老齢が哀れまれ,杖と輿を授けられた。その後,左大臣正二位まで昇る。一説には78歳であったという。和銅5(713)年その妻家原音那は,夫の生存中は国を治める道を勧め,夫の死後は固く同墳の意を守ったとして,その貞節を褒賞され,邑50戸を賜っている。夫婦共に朝廷に尽くした人物であったか。

(森公章)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

たじひのしま【多治比嶋】

624?‐701(推古32?‐大宝1)
古代の中央官人。志麻,志摩にもつくる。宣化天皇の曾孫多治比(古)王の子。池守,県守,広成,広足の父。《日本書紀》天武11年(682)4月条に筑紫大宰として初見。持統・文武朝で重きをなし,690年(持統4)1月持統即位の際,賀騰極(ひつぎよろこぶること)を奏し,同年7月正広参に昇るとともに右大臣に就任。翌年1月には封300戸を賜り通計500戸となった。700年(文武4)1月,左大臣で高年により霊寿杖と輿儓を賜った。

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