多田院社領銅山跡(読み)ただいんしやりようどうざんあと

日本歴史地名大系 「多田院社領銅山跡」の解説

多田院社領銅山跡
ただいんしやりようどうざんあと

[現在地名]川西市多田院

近世の銅山の跡。多田銀銅山のうちの一ヵ所で、銀山親鉉の枝分れした鉱脈。社頭伽藍坊舎などの修理費用に苦慮していた多田院は、寛延四年(一七五一)社領内に鉉筋を見つけて開発許可を得、運上も免除された。多田院では領民に稼場を与え、鉱山の収入で社堂の自力修復を図ったが、出水が多く、宝暦一三年(一七六三)に休業、明和九年(一七七二)古鋪の再開発の許可を得て稼業したものの、やはり収支が大幅の出超で休鉱となる(天保六年「社領銅山口上書」多田神社文書)。多くの古鋪稼業は盛山に至らず、閉山する間歩が多かったが、大間歩銅山は成功したほうである。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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