多田駿(読み)タダ ハヤオ

20世紀日本人名事典 「多田駿」の解説

多田 駿
タダ ハヤオ

大正・昭和期の陸軍大将



生年
明治15(1882)年2月24日

没年
昭和23(1948)年12月16日

出生地
宮城県

学歴〔年〕
陸士(第15期)〔明治36年〕卒,陸大〔大正2年〕卒

経歴
参謀本部部員、陸軍大学校教官を経て、昭和3年野砲兵第四連隊長となり、第十六師団参謀長を経て、7年関東軍司令部付となって満州国軍最高顧問になる。以後支那駐屯軍司令官、第十一師団長となり、12年参謀次長。日中戦争に際しては不拡大方針を主張する。その後第三軍司令官、北支那方面軍司令官を歴任し、16年大将に昇進軍事参議官となるが、同年予備役編入となった。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「多田駿」の解説

多田駿 ただ-はやお

1882-1948 大正-昭和時代前期の軍人
明治15年2月24日生まれ。陸軍大学校教官,第十六師団参謀長などをへて昭和7年初代満州国軍最高顧問。12年参謀次長となり,日中戦争の不拡大,早期解決につとめた。その後第三軍司令官,北支那方面軍司令官などを歴任,16年陸軍大将。昭和23年12月16日死去。67歳。宮城県出身。陸軍大学校卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「多田駿」の解説

多田 駿 (ただ はやお)

生年月日:1882年2月24日
大正時代;昭和時代の陸軍軍人。陸軍大将
1948年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android