多胡氏(読み)たごうじ

改訂新版 世界大百科事典 「多胡氏」の意味・わかりやすい解説

多胡氏 (たごうじ)

上野国(群馬県)多胡荘を本拠地とする在地領主。多胡荘の荘域は不明だが,多胡郡(現高崎市の旧吉井町)に比定される。ここには多胡,多比良,神保,長根などの郷村がある。多胡氏は上神保にある式内社辛科(からしな)神社を信仰の紐帯とする新羅系帰化人吉井連(よしいのむらじ)の子孫で,神保氏,多比良氏などと同族関係にあると思われる。《源平盛衰記》に木曾義仲に従った多胡次郎家包の名が見え,《吾妻鏡》には,多胡宗太,宗内,宮内左衛門太郎,宮内左衛門尉などが御家人として登場し,《楠木合戦注文》には多胡宗次跡と見える。宗内は〈小代系図〉によると多胡宗内左衛門尉惟宗親時といい,娘を武蔵の小代氏に嫁がせている。これによると惟宗姓であることがわかる。1353年(正平8・文和2)多胡荘の地頭職に補任された佐々木高氏(道誉)は,この地が神保,瀬下,小串氏らの乱妨によって支配が困難になっていることを訴えている。この神保氏は多胡氏の一族と考えられる。戦国時代には,永禄年中の《関東幕注文》に惣社衆として多胡氏,多比良氏の名が見える。
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