20世紀日本人名事典 「大ノ海久光」の解説 大ノ海 久光オオノウミ ヒサミツ 昭和期の力士(幕内) 生年大正5(1916)年3月20日 没年昭和56(1981)年9月20日 出身地秋田県南秋田郡井川町 本名中島 久光 別名年寄名=花籠 昶光(ハナカゴ ヒサミツ) 経歴昭和12年二所ノ関部屋に入門し、春場所初土俵。シコ名は当初は若ノ花、のち大ノ海と改名、19年夏場所に入幕したが、最高位は前頭三枚目。27年引退して花籠部屋を創設後、初代若乃花、輪島の両横綱と大関・魁傑(現放駒親方)はじめ1代で27人もの関取を育て、大相撲界の“名伯楽”といわれた。また、相撲協会では定年直前まで事業部長として春日野理事長(元横綱栃錦)の片腕をつとめ、56年3月輪島に花籠をゆずった。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大ノ海久光」の解説 大ノ海久光 おおのうみ-ひさみつ ⇒花籠昶光(はなかご-ひさみつ) 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by