大井政子(読み)オオイ マサコ

20世紀日本人名事典 「大井政子」の解説

大井 政子
オオイ マサコ

昭和期の婦人運動家 長野県連合婦人会副会長。



生年
明治34(1901)年9月25日

没年
昭和58(1983)年9月3日

出生地
長野県北佐久郡岩村田町(現・佐久市)

旧姓(旧名)
出沢

学歴〔年〕
松本女子師範学校卒

経歴
教員となり、郷里長野県北佐久郡内の小学校を歴任。大正11年南佐久郡平賀村の大井康則と結婚し、14年に教職を退いた。戦後は婦人会活動に奔走し、北佐久郡連合婦人会会長や長野県連合婦人会副会長などを歴任。昭和28年には婦人会を代表して浅間山のアメリカ軍演習地の建設反対運動に加わり、その中心となって活躍した。のち母子相談員や人権擁護委員も務めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大井政子」の解説

大井政子 おおい-まさこ

1901-1983 昭和時代教育者,婦人運動家。
明治34年9月25日生まれ。生地の長野県北佐久郡などで小学校訓導をつとめる。戦後,北佐久郡連合婦人会会長,長野県連合婦人会副会長となる。昭和28年浅間山アメリカ軍演習地反対闘争に,婦人会代表として参加した。昭和58年9月3日死去。81歳。松本女子師範(現信州大)卒。旧姓は出沢。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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