朝日日本歴史人物事典 「大伴牛養」の解説
大伴牛養
生年:生年不詳
奈良時代の官人。牛飼とも。大伴咋子の孫。吹負の子。和銅2(709)年従五位下に昇り,遠江守を経て,養老6(722)年には左衛士督とみえる。天平10(738)年には従四位下,摂津大夫となり,翌年参議。14年聖武天皇の紫香楽(滋賀県信楽町)行幸時には平城留守司,16年難波行幸時には兵部卿で恭仁宮留守司となる。翌年1月紫香楽遷都を宣する儀式では石上,榎井氏に代わって盾槍を立て,従三位に昇叙している。18年1月の雪の日に元正太上天皇在所の宴で詔に応じて作歌したといい,次いで山陽西海両道鎮撫使となった。天平感宝1(749)年には正三位,中納言になるが同年に没した。
(佐藤信)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報