新島荘(読み)にいじまのしょう

百科事典マイペディアの解説

新島荘【にいじまのしょう】

阿波国名方(なかた)郡(のち名東郡)にあった東大寺領の荘園。749年ごろから造東大寺司により各地に設定された荘園の一つで,吉野川下流部の湿地帯に広がる。本荘・枚方(ひらかた)・大豆処の離れた3地区からなり,その比定地については,名方郡条里の把握の差などから複数の説がある。およそ現徳島市北部および板野郡藍住町南部,名西郡石井町東部一帯にあたるか。3地区とも占点(荘域の設定)は749年,立券は756年とみられ,本荘地区は42町余,枚方地区は31町余,大豆処地区は10町。このうち枚方・大豆処両地区については,立券前後に作成されたとみられる絵図が正倉院に現存している。この絵図によれば,低湿地の周囲を堤防で囲み,内側に畠地を主とする耕地を開くというかたちで占点が行われた。開発には阿波国造であった粟凡直(あわのおおしのあたい)氏が関わっていたと推定される。その後東大寺の荘園としての機能はほとんど失われていたが,荘域内部では在地農民による開発が進み,口分田・農民墾田が大幅に増加した。9世紀半ばから東大寺により荘園回復運動が推し進められたが,東大寺からの口分田・農民墾田の寺田への返還要求は,在地農民の抵抗により充分な成果を上げなかったようである。10世紀半ばからの東大寺別当光智の寺領再建運動では,在地農民の新島荘荘預・荘子への組織化が図られて一時回復をみるが,998年には完全に荒廃していた。

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世界大百科事典 第2版の解説

にいじまのしょう【新島荘】

阿波国名東郡(現,徳島市)の荘園。756年(天平勝宝8),東大寺は西日本各地に多くの荘園を一挙に創設した。そのうちの一つが吉野川下流の低湿地帯に作られたこの荘園である。この荘園は本荘地区(42町),枚方地区(31町),大豆処地区(10町)のそれぞれ離れたところにある3地区から成り立ち,枚方・大豆処の両地区については,創設時の8世紀中期の絵図が正倉院に現存している。3地区とも周囲を堤防で囲み,内部に畠地を主にした耕地を開作している。

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世界大百科事典内の新島荘の言及

【阿波国】より

…古代の技術水準下での水の制御のむずかしさを物語っている。しかし,そのなかでも吉野川下流に8世紀中期に東大寺が作った新島荘の絵図を見ると,堤防を作り輪中の方式で低湿地を耕地化していく状況がうかがえ,耕地拡大と水田化の努力は一貫してつづけられている。 8世紀に頂点をむかえる律令政治も,9世紀に入ると変質をはじめるが,そのなかで地方行政のたてなおしに努力する良吏とよばれる一群の官人があらわれる。…

※「新島荘」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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