百科事典マイペディア 「新島荘」の意味・わかりやすい解説
新島荘【にいじまのしょう】
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
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阿波国名東郡(現,徳島市)の荘園。756年(天平勝宝8),東大寺は西日本各地に多くの荘園を一挙に創設した。そのうちの一つが吉野川下流の低湿地帯に作られたこの荘園である。この荘園は本荘地区(42町),枚方地区(31町),大豆処地区(10町)のそれぞれ離れたところにある3地区から成り立ち,枚方・大豆処の両地区については,創設時の8世紀中期の絵図が正倉院に現存している。3地区とも周囲を堤防で囲み,内部に畠地を主にした耕地を開作している。荘園の成立後9世紀中期にかけて,在地農民の主導のもとに堤防の新築などがなされ,開発は着実に前進した。9世紀中期の承和年間,東大寺は新島荘をふくむ西日本各地の東大寺領荘園の再建に着手し,農民の開発した田をうばい荘田にくり入れるなどして農民の強い抵抗をうける。10世紀後半,東大寺別当光智の所領再建運動を契機に,それまで衰退していた新島荘も荘園としての機能を回復させる。しかしそれも一時的なことであり,10世紀末には完全に姿を消した。
執筆者:丸山 幸彦
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…古代の技術水準下での水の制御のむずかしさを物語っている。しかし,そのなかでも吉野川下流に8世紀中期に東大寺が作った新島荘の絵図を見ると,堤防を作り輪中の方式で低湿地を耕地化していく状況がうかがえ,耕地拡大と水田化の努力は一貫してつづけられている。 8世紀に頂点をむかえる律令政治も,9世紀に入ると変質をはじめるが,そのなかで地方行政のたてなおしに努力する良吏とよばれる一群の官人があらわれる。…
※「新島荘」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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