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大伴吹負 おおともの ふけい

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

大伴吹負 おおともの-ふけい

?-683 飛鳥(あすか)時代の武人。
大伴咋(くい)の子。大伴長徳(ながとこ),大伴馬来田(まくだ)の弟。壬申(じんしん)の乱では大海人(おおあまの)皇子(のちの天武天皇)に味方して飛鳥京を占拠し,将軍に任命される。大和を平定して難波(なにわ)に進出,以西の国司を服従させた。天武天皇12年8月5日死去。大錦中の位をおくられた。名は別に男吹負,小吹負。

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朝日日本歴史人物事典の解説

大伴吹負

没年:天武12.8.5(683.9.1)
生年:生年不詳
壬申の乱(672)で活躍した大海人皇子(のちの天武天皇)方の将軍。男吹負,小吹負とも書く。咋子の子。馬来田の弟。天武1(672)年兄馬来田と共に近江朝廷を去って倭(大和)の家に退く。大海人の東国行に馬来田が従う一方,吹負は倭にとどまって大海人の挙兵に呼応,近江方の倭京留守司を倒し,将軍に任じられた。近江に向け進軍し,乃楽山(奈良市)の戦いで近江軍に敗れるが,墨坂(奈良県榛原町)まで退いたところで置始【G7EDF/おきそめのうさぎ】率いる援軍に出会い,再起する。今度は西方大坂道からの近江軍に勝利し,さらに東方からの援軍と合流して,上ツ道,中ツ道,下ツ道の3軍に別れて北上。吹負は中ツ道を進み,近江軍の廬井鯨率いる精兵に迫られる危機をかわしてこれを破り,倭を制圧した。次いで難波(大阪市)に赴き,西方の国司に命じて統治権を象徴するカギ,駅鈴などを進上させる功を挙げた。のち経歴未詳ながら常道頭(常陸守)に任じ,同12年没して,壬申の乱の功により大錦中を贈られた。

(佐藤信)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

おおとものふけい【大伴吹負】

?‐683(天武12)
7世紀の豪族。咋(くい)の子,馬来田の弟,牛養・祖父麻呂の父。男吹負,小吹負とも書く。吉野の大海人皇子と近江の大友皇子とが皇位を争った672年の壬申の乱にあたり,大海人皇子に呼応して大倭に挙兵,倭漢氏などの奈良盆地の豪族の協力をえて6月29日飛鳥寺の陣営を急襲,近江方の興兵使を殺して倭京を占拠した。7月4日,乃楽山(ならやま)に進んで近江軍と戦い,敗北したが,東方より進んだ大海人皇子麾下(きか)の軍の救援をえて勢いをもりかえし,激戦のすえ奈良盆地に進攻した近江軍を撃退,大倭を平定した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

大伴吹負
おおとものふけい
(?―683)

7世紀後期の武将。男吹負、小吹負とも書く。咋子(くいこ)の子。牛養(うしかい)、祖父麻呂(おおじまろ)の父。近江(おうみ)朝廷より倭(やまと)(大和)の家に退き壬申(じんしん)の乱(672)にあう。兄馬来田(まくた)は大海人皇子(おおあまのおおじ)(天武(てんむ)天皇)の挙兵に従軍、吹負はとどまって同族大伴安麻呂(やすまろ)や倭漢(やまとのあや)氏、秦(はた)氏らに命じて留守司(とまりのつかさ)高坂王らの飛鳥寺(あすかでら)の営を急襲し、飛鳥古京を占拠した。この功により将軍に任ぜられるとともに、三輪氏、鴨(かも)氏ら諸豪族を配下に加えて軍制を整え、竜田道(たつたみち)、大坂道(穴虫越(あなむしごえ))、石手(いして)道(竹内(たけのうち)街道)を防がせ、自らは乃楽山(ならやま)に布陣。近江朝の軍に敗れるが、援軍を得て、当麻(たいま)、中道(なかつみち)に転戦して倭の地を平定した。その後難波(なにわ)に出て以西の国司に命じて、管鑰(かぎ)、駅鈴(すず)、伝印(つたいしるし)を進上させている。天武朝の極官は常道頭(ひたちのかみ)。没後、大錦中(だいきんちゅう)を贈位された。[弓野正武]
『川崎庸之著『天武天皇』(岩波新書) ▽直木孝次郎著『壬申の乱』(1961・塙書房)』

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世界大百科事典内の大伴吹負の言及

【大伴氏】より

…日本古代の中央有力豪族。姓は連(むらじ)で,684年(天武13)以後宿禰(すくね)となった。伴(とも)は朝廷の各種の職務を世襲的に奉仕する集団で,大伴とは,伴の大いなる者,あるいは多くの伴を支配する伴造(とものみやつこ)の意であろう。記紀の伝承では,天孫降臨のおり,遠祖天忍日命(あめのおしひのみこと)が武装して先導し,神武東征のおりにも,遠祖日臣命(道臣命)が大和への道を先導したという。おそらく4~5世紀の大和政権の発展期に,朝廷の諸機能にたずさわる伴の管理者として成長し,ことに軍事的統率者として頭角を現したものと思われる。…

【壬申の乱】より

…こうして,近江朝廷が企図した全国からの軍勢の動員という計画は大きく狂ってしまった。また大和でも,大伴吹負(ふけい)が大海人皇子方について兵をあげ,留守司と近江方の軍隊が駐屯していた飛鳥古京(倭京)を襲撃し,これを占領して本拠とした。この報に接した大海人皇子は攻勢を開始し,第1隊を伊勢をこえて大和へ向かわせ,第2隊は高市皇子を将として近江へ直進させた。…

【墨坂】より

…また崇神天皇が夢の中で赤い盾と矛で墨坂神をまつれとのお告げを受けたとの話もみえる。壬申の乱のときに天武側の将軍大伴吹負(おおとものふけい)が乃楽山(ならやま)の戦で敗走し,伊勢からの援軍と遭遇したのもこの墨坂である。このように墨坂のみえる記事の多くは軍事に関係があり,古くから存在した大和と東国とを結ぶ重要な交通路の要所であったことを物語る。…

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