第46代に数えられる奈良後期の女帝。在位749-758年。のち重祚して第48代に数えられる称徳天皇。在位764-770年。聖武天皇の皇女,母は光明皇后,諱(いみな)は阿倍,高野天皇ともいう。738年(天平10)1月はじめて未婚の女性ながら立太子,皇太子学士吉備真備について学び,743年の5月5日には内裏で五節舞を舞った。749年(天平勝宝1)7月聖武天皇の譲位によって即位したが,実権は,紫微中台(しびちゆうだい)を設け藤原仲麻呂を紫微令に任じた母の光明皇太后が掌握していた。在位中に盧舎那大仏像の開眼供養が行われ,東大寺に行幸,帰途仲麻呂の田村第に入った。また唐僧鑑真が来日すると,東大寺大仏殿前に戒壇をたてて受戒した。756年の聖武太上天皇没後,遺詔によって道祖(ふなど)王(父は新田部親王)を皇太子としたが,淫縦を理由にまもなく廃太子し,代わって藤原仲麻呂といわば養父子の関係にある大炊(おおい)王(父は舎人親王)を立太子させた。その後仲麻呂を紫微内相に任じ,橘奈良麻呂の反乱を未然に鎮圧すると,758年(天平宝字2)8月には皇位を大炊王(淳仁天皇)に譲り,宝字称徳孝謙皇帝の尊号を受けた。しかしまもなく母の光明皇太后が没し,その翌年近江保良宮(北京)に行幸したころから,看病禅師の道鏡を寵愛したことが問題となって,淳仁天皇と不和となり,平城宮にかえるとそのまま法華寺に入り,〈国家の大事と賞罰は朕(孝謙)が行い,常祀と小事は今帝(淳仁)が行え〉と宣言する。かくして淳仁天皇を擁立する藤原仲麻呂派との対立が激化し,ついに764年9月に恵美押勝の乱が起こったが,追討軍を発遣して仲麻呂一族を湖西に敗死させ,淳仁天皇を廃して淡路に配流し,代わって重祚した。この間四天王の加護を祈って造像を発願し,やがて西大寺が創建されたほか,戦没者の冥福を祈るため木製の三重小塔100万基を造って南都十大寺に分置した。乱後は道鏡を重用し,太政大臣禅師に任じ,ついで法王の位を授け,法王宮職を設置した。その結果,道鏡は宇佐八幡神の託宣と称して皇位につこうとしたが,和気清麻呂が神教を復奏して妨げ,実現しなかった。770年8月河内由義(ゆげ)宮(西京)から還幸後,平城宮西宮で没した。大和国添下郡佐貴郷高野山陵に葬る。《正倉院文書》中の造東大寺司沙金奉請文に記された〈宜〉の字は自筆という。
執筆者:岸 俊男
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(西野悠紀子)
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718~770.8.4
在位749.7.2~758.8.1 称徳天皇として在位764.10.9~770.8.4
阿倍内親王・高野(たかの)天皇・高野姫(たかのひめ)尊とも称する。聖武天皇の皇女。母は藤原不比等(ふひと)の女光明皇后。738年(天平10)女性の身で皇太子となり,749年(天平勝宝元)聖武の譲位をうけて即位。752年東大寺大仏の開眼供養を行い,受戒して法名を法基(ほうき)と称した。758年(天平宝字2)大炊(おおい)王(淳仁天皇)に譲位。のち淳仁と不和となり,764年にはその庇護者藤原仲麻呂(恵美押勝)を近江に敗死させ,淳仁を廃して重祚(ちょうそ)(称徳天皇)。重祚後は僧道鏡を重く用い,西大寺や平城京東院の玉殿,由義宮(ゆげのみや)などの造営工事を行うなどして政治・財政の混乱をまねき,貴族の反感をかった。皇嗣を決定しないまま,770年(宝亀元)死去。
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第46代とされる天皇(在位749~758)。女帝。重祚(ちょうそ)して第48代称徳(しょうとく)天皇(在位764~770)となった。
[編集部]
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…同腹の姉妹に井上内親王,不破内親王がある。聖武天皇の正妻光明子は藤原不比等の女で718年(養老2)阿倍内親王(のちの孝謙天皇)を,727年閏9月29日に基親王を生んだ。基親王は同年11月2日に皇太子に立てられたが翌年9月13日に没した。…
…769年(神護景雲3)大宰府管内豊前国の宇佐八幡神が僧道鏡を天皇にしたならば天下太平ならんと,称徳天皇に神託を奏上した事件。宇佐八幡宮の起源は不明だが,正史では《続日本紀》に737年(天平9)新羅の無礼を八幡神に告げたとあるのが初見。745年ころから同神が東大寺大仏の建立を助け,とくに銅と黄金の入手を助けたと信ぜられ,朝廷の崇敬を得た。750年(天平勝宝2)には封戸1400戸,位田140町が施入され,伊勢神宮をしのぎ,全神社中第1位を占める厚い崇敬を得た。…
…奈良時代に恵美押勝(藤原仲麻呂)が起こした反乱。橘奈良麻呂の変を未然に鎮圧した藤原仲麻呂は,早世した長男真従の妻であった粟田諸姉をめあわせた大炊王を淳仁天皇として擁立し,またみずからを恵美押勝と称すること,私的に銭貨を鋳造し出挙(すいこ)を行うこと,および恵美家の印を任意に公的に用いることを許された。そして太保(右大臣),ついで太師(太政大臣)に進み,位階もついには正一位に達し,その間中国の唐を模倣したさまざまな重要施策を実行に移した。…
…奈良後期の政治家,僧侶。俗姓弓削連。河内国若江郡(現,八尾市)の人。出自に天智天皇皇子志貴(施基)皇子の王子説と物部守屋子孫説の2説がある。前者は《七大寺年表》《本朝皇胤紹運録》等時代の下る書に見える。後者は《続日本紀》天平宝字8年(764)9月甲寅条の詔に〈この禅師の昼夜朝庭を護り仕え奉るを見るに先祖の大臣として仕へ奉りし位名を継がむと……〉とある。前者の説は,河内若江郡と志紀郡と両方に弓削氏の氏神式内社弓削神社があり,弓削一族が志紀郡に居住していたことから付会されたものか。…
※「孝謙天皇」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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