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生江東人 いくえの あずまひと

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

生江東人 いくえの-あずまひと

?-? 奈良時代の豪族。
越前(えちぜん)(福井県)足羽(あすわ)郡の人か。天平感宝(てんぴょうかんぽう)元年(749)造東大寺司史生(ししょう)として僧平栄と越前に赴任,寺領荘園を定めた。足羽郡の大領(郡司)となり,桑原荘の経営に参加。

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朝日日本歴史人物事典の解説

生江東人

生年:生没年不詳
奈良時代の越前国足羽郡(福井県)の有力氏族。天平感宝1(749)年,造東大寺史生,大初位上の地位で郷里に赴き,東大寺領荘園の占定に従い,ほどなく足羽郡大領に就任。天平勝宝9(755)年には隣郡坂井郡の東大寺領桑原荘の経営に関与した。大領就任以前,自力で開いた墾田100町を東大寺功徳料として寄進(道守荘),以後その経営にも当たる。天平神護2(766)年,道鏡政権下で経営権を強めた東大寺の勘問にあい,著名な弁明書を遺す(『寧楽遺文』)。同解状に足羽郡大領正六位上とみえ,神護景雲2(767)年外従五位下に叙された。奈良時代に活躍した地方豪族の典型的人物といえよう。<参考文献>原秀三郎「郡司と地方豪族」(新岩波講座『日本歴史』3巻)

(原秀三郎)

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世界大百科事典 第2版の解説

いくえのあずまひと【生江東人】

奈良時代の豪族,官人。生没年不詳。越前国足羽郡の人か。749年(天平勝宝1)5月大初位上,造東大寺司の史生として,東大寺の野占寺使となり越前に赴き同寺領荘園の占定を行った。のち754年2月には寺家の田使曾禰乙麻呂らとともに同国坂井郡桑原荘の経営に参画するなど,東大寺領諸荘園の経営に大きな役割を果たした。時に足羽郡大領の地位にあったが,同郡では749年当時の大領として生江安麻呂がいたので,生江氏は同郡の伝統的豪族であったと考えられる。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

生江東人
いくえのあずまひと

生没年不詳。奈良時代の地方豪族。越前(えちぜん)国(福井県)足羽(あすわ)郡の出身か。造東大寺司史生(ししょう)から、のちに足羽郡の大領(たいりょう)(郡司)。東大寺大仏の造立のころ、同寺はその財政維持のため多くの荘園(しょうえん)を成立させた。北陸三国(越前、越中(えっちゅう)、越後(えちご))にとくに集中している。749年(天平勝宝1)寺家野占寺使(じけやせんじし)の法師平栄(へいえい)らとともに北陸に派遣され、土地の占定にあたった。当時の越中守(えっちゅうのかみ)大伴家持(おおとものやかもち)は歓迎の宴を開いている。東人の起用は、出身地である点と、彼の現地での有力土豪としての資力と労働力編成の力量を勘案したうえでのことであろう。彼の財力によってできた桑原(くわばら)荘は著名。[渡辺正樹]
『朝尾直弘他編『岩波講座 日本歴史3』(1976・岩波書店) ▽工藤敬一著『荘園の人々』(教育社歴史新書)』

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世界大百科事典内の生江東人の言及

【足羽】より

…第2次大戦後の町村合併で,旧郡域はほとんど福井市に合併され,現在は美山町を残すのみとなった。古くは生江(いくえ)山と呼ばれた足羽山に所在する古墳群は,古代,道守(ちもり)荘を東大寺に寄進した足羽郡大領生江東人や同少領阿須波束麻呂など,生江氏,足羽氏一族の墓と比定される。同山上の足羽神社は継体天皇をはじめ九神を合祀する。…

※「生江東人」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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