日本歴史地名大系 「大和浜方」の解説 大和浜方やまとはまほう 鹿児島県:大島郡大和村大和浜方近世、屋喜内(やきうち)間切(焼内間切)の北東部に置かれた行政区分。「大島私考」によれば、屋喜内間切が広大であるために置かれた区分で、村数一二ヵ村(うち禿村一ヵ村)、与人と間切横目を各一名配した。方の高頭七六五石余、うち畑高二斗九升六合余が蔵役屋敷地で、納米三一六石余。龍郷(たじご)方(現龍郷町)の田畑佐文仁が正徳二年(一七一二)から元文三年(一七三八)までに開発した大島の四九四町余の新田のうちに大和浜村・津名久(つなぐ)村・深山(みやま)平(福元)が含まれるが、深山平では用水路が確保できず失敗したようである(奄美大島史)。弘化元年(一八四四)と推定される頃、大和浜方の定式糖は二七万五千九一斤(志岐家文書)、同二年の黍地は一六四町三反余で、うち古黍五七町三反余・三年黍三一町一反余・二年黍三五町九反余・新年黍三九町九反余(「公私留」盛岡家文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by