大和浜村(読み)やまとはまむら

日本歴史地名大系 「大和浜村」の解説

大和浜村
やまとはまむら

[現在地名]大和村大和浜

現大和村の北東部に位置し、集落思勝おんがち(大和浜湾とも)の西手にある。対岸東方は湯湾釜ゆわんがま村・国直くうんにより村で、西は大棚ふうだな村。大和川が流れ、「南島雑話」によれば、大和浜村から宇検うきえん方湯湾村(現宇検村)へ越える坂は難所であるという。屋喜内やきうち間切の大和浜方のうちで、大和浜湊が置かれていた。当地のユカリッチュである伊間は、のち長男家が太家、次男家が和家を称した。和家には数十点の文書が伝来され、なかでも嘉靖八年(一五二九)一二月二九日の琉球辞令書は奄美最古に属するもので、同家筋が笠利かさん間切宇宿うしく(現笠利町)の大屋子職を勤めたと思われる。隆慶六年(一五七二)一月一八日の琉球辞令書に「屋けうちまきりの屋けうち」とみえ、その大屋子職に「屋まとはま」の「めさし」(目差職)が任じられている。宇宿大親家譜系図(奄美大島諸家系譜集)によれば、同家一世の宇宿大親(童名は保元金)は大島の巨族であり、宇宿大親職(宇宿大屋子職)を勤め、中山王からその忠勤を賞されて俸米を与えられたという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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