日本歴史地名大系 「大坂本村」の解説 大坂本村おおさかもとむら 大分県:南海部郡弥生町大坂本村[現在地名]弥生町大坂本床木(ゆかぎ)村の南西、床木川と井崎(いさき)川の合流点付近に位置。大永八年(一五二八)一〇月一一日の大神惟豊知行預ケ状(薬師寺文書)に「大坂本黒土」とみえ、惟豊は同地ほかを高畑右京亮に預け置いている。天正一七年(一五八九)七月一九日には「佐伯大坂本」の高司隼人・同甚三郎が伊勢神宮に参詣している(「参宮帳写」後藤作四郎文書)。大坂本村とは広義には宮之下(みやのした)・稽古屋(けごや)・本田(もとだ)(元田)・石原(いしはら)・備後(びご)・津留(つる)・岡(おか)・釈間(しやくま)・黒土(くろつち)・田之平(たのひら)・川中(かわなか)・長畑(ながはた)・宇藤木(うとうぎ)と八戸(やと)(現津久見市)などの一四ヵ村(豊後国志)、あるいは宮之下・稽古屋・本田・尺魔(しやくま)・宇藤木・八戸の六ヵ村からなり(享和三年「郷村仮名付帳」佐伯藩政史料)、元禄郷帳・天保郷帳ではこの六ヵ村を含めて大坂本村で高付される。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by