大塚正士(読み)オオツカ マサヒト

20世紀日本人名事典 「大塚正士」の解説

大塚 正士
オオツカ マサヒト

昭和・平成期の実業家 大塚グループ総帥;大塚国際美術館館長;元・大塚製薬工場社主。



生年
大正5(1916)年10月24日

没年
平成12(2000)年4月17日

出身地
徳島県鳴門市

学歴〔年〕
撫順中〔昭和9年〕卒

主な受賞名〔年〕
藍綬褒章〔昭和49年〕,イタリアコマンダトーレ勲章〔昭和52年〕,勲三等旭日中綬章〔昭和61年〕,経済界大賞寿賞(第19回)〔平成5年〕

経歴
父の経営する大塚製薬工業部に入社。昭和22年代表権を譲られ代表者に。25年大塚化学薬品社長、39年大塚製薬社長などを歴任し、51年大塚グループ各社社長を退任、会長となる。62年各社取締役相談役に就任。平成10年大塚国際美術館館長。大塚グループの総帥として長年経営の指揮を取るとともに、“本業一筋”を経営理念に、「オロナイン軟膏」や「オロナミンC」「ボンカレー」などの新商品を次々にヒットさせる一方、多才で、“君の名はオロナイン”などの宣伝文句や「ごきぶりホイホイ」のネーミングも自ら担当した。自伝「わが実証人生―三五○年を生きた一人の男・その酒と女と経営人生」「続わが実証人生 金儲けの秘訣」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大塚正士」の解説

大塚正士 おおつか-まさひと

1916-2000 昭和後期-平成時代の経営者
大正5年10月24日生まれ。大塚武三郎長男。父の経営する大塚製薬工場にはいり,昭和22年代表者となる。のち大塚化学薬品社長,大塚製薬社長などをつとめる。「オロナミンC」「ごきぶりホイホイ」などの商品をヒットさせた。平成10年大塚国際美術館を設立し,館長。平成12年4月17日死去。83歳。徳島県出身。撫養中学卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android