大塚武三郎(読み)オオツカ ブサブロウ

20世紀日本人名事典 「大塚武三郎」の解説

大塚 武三郎
オオツカ ブサブロウ

大正・昭和期の実業家 大塚製薬創業者。



生年
明治24(1891)年12月1日

没年
昭和45(1970)年9月30日

出生地
徳島県

別名
号=月峰

学歴〔年〕
高小卒

経歴
小卒後、農・漁業従事兵役海軍で製薬技術を覚え、大正舎精密工で独学、大正10年鳴門市に従業員10人の大塚製薬工場を創設した。昭和9年写真乳剤薬の国産化に成功、わが国写真工業の発展に寄与戦後ブドウ糖リンゲル液など注射液を製造販売して本格的に製薬業にのり出す。28年“オロナイン軟膏”を世に出し、大衆薬としてベストセラーとなった。39年営業部門を大塚製薬株式会社に改組会長となる。44年には工場を株式会社大塚製薬工場として会長に就任。一代で大塚製薬の今日を築き、42年度長者番付全国第1位にランクされる。月峰と号し書を愛した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大塚武三郎」の解説

大塚武三郎 おおつか-ぶさぶろう

1891-1970 大正-昭和時代の実業家。
明治24年12月1日生まれ。独学で製薬技術を研究し,大正10年郷里の徳島県鳴門に大塚製薬工場を設立。昭和39年営業部門を大塚製薬株式会社とし,会長となる。42年度全国長者番付第1位。昭和45年9月30日死去。78歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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