日本歴史地名大系 「大多羅村」の解説 大多羅村おおだらむら 岡山県:岡山市旧西大寺市地区大多羅村[現在地名]岡山市大多羅町・可知(かち)三丁目中川(なかがわ)村の東、芥子(けしご)山の西南面にある。天平一九年(七四七)の「大安寺伽藍縁起並流記資財帳」にみえる「大邑良葦原」は当地とも伝える。慶長一〇年(一六〇五)備前国高物成帳(備陽記)の東可知郷に大タラ村とあり、寛永備前国絵図では高二四二石余。正保郷帳には水損所と注記がある。「備陽記」では田畠一〇町余、家数三一・人数一八九。文化年間の「岡山藩領手鑑」によると直高三一一石余、蔵入と家臣三人の給地。田高二三一石・一五町五反余、畑高三八石余・四町三反余、家数三六・人数一五〇、牛一七、出家二、社方一軒(人数五)、橋一五、樋六、小船一、給所藪一・請藪一(請銀一匁余)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by