朝日日本歴史人物事典 「大宅賀是麻呂」の解説
大宅賀是麻呂
奈良時代の大和国添上郡志茂郷,のち大宅郷の戸主。東大寺東南院文書中に多数の奴婢(奴隷)の所有者として名を残す。父は従五位下大宅朝臣広麻呂。大宅氏は和珥氏と同族で大宅郷(奈良市古市町付近)を本拠とする雄族。初め臣,天武13(684)年朝臣となる。一族に推古朝の新羅遠征副将軍を務めた小徳大宅軍,摂津守,大和守を歴任した従四位下大宅大国らがいる。天平勝宝1(749)年奴36人,婢25人を東大寺に寄進。しかし,現実には彼らは賀是麻呂の支配を離れて公民として暮らし,奴隷としての実態はなかった。時に賀是麻呂は散位寮散位大初位上の下級官人であった。<参考文献>磯村幸男「大宅朝臣可是麻呂の貢賤について」(田村円澄先生古稀記念会編『東アジアと日本』歴史編)
(原秀三郎)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報