改正前の民法旧規定における家族制度の中心的概念で,〈家〉の統率者,支配者。戸主とは,いわゆる家督相続によって得られた地位にほかならないのであり,家督相続は原則として長男の単独相続とされた。戸主の死亡,隠居などによって家督相続が開始されると,長男が新たに戸主となり,その戸主を本とする戸籍が編製された。戸主は,その家の全財産と祖先を祭る権利を一手に収めた。この家産の独占的な支配権と祖先祭祀権の両者が,家族に対する戸主の支配権(戸主権)の精神的・物質的な基礎となったのである。ここに,次・三男の貧困と女性蔑視の近因がひそんでいた。戸主の身分の効果として,もっとも注目すべきものは,家の統制のため戸主に認められた権利義務の集合としての〈戸主権〉である。
戸主権の内容は次のとおりである。第1に,戸主は家族が居住すべき場所を指定し(居所指定権),これに従わない者を離籍することができる(離籍権)。第2として,戸主は一家の統率者であるから,家族の入家にも去家にも専断的な同意権をもち,この同意を欠くときは無効となる。また戸主自身が去家することは不可能であった。第3に,家族の婚姻,養子縁組についても戸主の同意が必要とされ,かりにこれに違反しても婚姻,養子縁組自体は有効に成立するけれども,戸主はその違反した家族を離籍したり,復籍を拒絶することができる(復籍拒絶権)。第4に,戸主は家族に対して扶養の義務を負う。第1から第3に至ることがらは,必然的に入家・去家をともなった家族制度のもとにおける婚姻,養子縁組,認知などにおいて,当事者の自由意思を少なからず束縛する結果をもたらした。とりわけ悪用されたのは,戸主がその一家内の家族に対して有していた居所指定権や離籍権であった。たとえば,息子の嫁もまた家族であったし,家族であることを前提条件として,戦死した息子の戦没者遺族扶助料などは嫁にさがることになっていたわけであるが,それを巻き上げようとして戸主であるしゅうとが,無理な居所指定を嫁にする。嫁はそれに応じない。すると戸主の居所指定権に服さないという理由で嫁を離籍し,一家外へ追放する。その結果,扶助料は一家内の次順位者であるしゅうとの手に入る,ということなどがあった。この弊害を除去するために,居所指定権については,第2次世界大戦後の改正に先だって,戦時中にとくに民法の一部改正が行われたほどであった。
どのような歴史的系譜をたどって民法旧規定の戸主権は成立したのかという問題については,学説は分裂している。一般に流布している説は,日本の家族制度の伝統は非常に古く,ことに江戸時代以来は強大な家長権に基づく支配下にあるとし,戸主権はこれに由来すると説明するが,他の説によれば,旧規定の戸主権の制度をもってまったく明治後半期の所産とし,前古無類の新制度であると主張するのである。1890年公布の旧民法では,そのいわゆる第一草案には戸主に関する規定はあっても,戸主権と称するほどのものはなかった。ところが,法律取調委員会や元老院における審議の過程でしだいに戸主権的なものが付加され,公布された法典では,戸主は家族の養育および普通教育の費用を負担するとともに,家族の婚姻や養子縁組の許諾権などをもつことになった。旧民法は〈民法典論争〉のために無期延期となり,ついに陽の目をみることなく葬り去られたが,民法旧規定における戸主権はすでに旧民法のなかに胚胎していたといえよう。
現行民法では〈家〉の制度を認めていないから,家長すなわち戸主も,法律上は存在の余地がまったくなくなった。しかし現実には,家族制度がいまなお温存されている傾向を否定することはできない。現行戸籍法のもとで編製される戸籍簿の筆頭に記載される戸籍筆頭者に旧戸主の名残を連想させる風潮は根強い。戸主的なものの絶滅のためには,さらに多くの年月と努力を必要としよう。
→家 →家族制度
執筆者:向井 健
古代の律令制において,〈戸〉の責任者として指定された者を戸主といい,戸籍の筆頭に記された。中国律令では〈家長を以て戸主とせよ〉と規定され,日本律令もその規定をそのまま継受するが,家長がはっきりした形で一般的には存在していなかったので,戸主の地位の継承者を明確にするために,721年(養老5)には,戸籍に嫡子(ちやくし)を明記し,戸主の地位の継承責任者とする法令が出された。しかし嫡子の制は政治的な制定にとどまり古代社会では定着しなかった。律令制は戸を単位とし,戸主を通じて施行された。口分田も戸の受田を一括して戸主に授け,戸の課役の納入も戸主の責任とされた。律令制の衰退とともに戸主の制もしだいに形骸化し,租税(広義)の納入の責任者も,平安後期には名主になった。
→家督 →戸(こ)
執筆者:吉田 孝
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第二次世界大戦後に民法が改正される以前の日本の家族制度の中心をなした概念で、家の統率者・支配者。一家にはかならず1人の戸主がおり、祖先の祭祀(さいし)財産と家の財産を承継するとともに、家族の婚姻・縁組みなどに許可を与える権限などを有していた。戸主の地位は家督相続によって承継された。第二次大戦後、家の制度の廃止とともに廃止された。
[高橋康之]
律令(りつりょう)制下の編戸制に伴い採用された戸籍制の用語。「へぬし」とも訓(よ)む。戸の代表者で家長を戸主とした。律令国家は、儒教的家族観による家父長制を中心に人民支配を行った。これまで地方豪族の村落支配に全体として編成された人々は、制度上は戸主を中心とする郷戸(ごうこ)に編成され、郷戸単位に、班田収授制、租庸調(そようちょう)収奪を受けることになった。戸主は、国家に対し、籍帳作成の責任、戸口の納税、賦役の責任をもった。しかし、唐(とう)の尊長制、家長制がどこまで日本律令制に継受されたか問題であり、共同体首長を軸とする日本古代社会の構造のなかで戸主制はなじまなかった側面が指摘されている。
[野田嶺志]
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1「へぬし」とも。古代における戸の法的代表責任者。戸令に戸主には家長をあてると規定される。戸は,50戸1里制によって国郡里の地方行政組織の末端にくみこまれ,戸主は戸口を統率してその監督を行うとともに,計帳作成時の手実(しゅじつ)の申告,班田に際しての口分田(くぶんでん)の受給,調庸の貢納などの義務を負った。
2近代の戸籍法・民法で規定された戸すなわち家の長。江戸時代の宗門人別改帳で各家の筆頭に名前を記された者は,名前人または家主(いえぬし)とよばれていた。1871年(明治4)制定の戸籍法で戸主という言葉が使用されて以後,一家の長をさす語として広まった。明治政府は国民統治の装置として家を位置づけ,戸主を通じて家族員を統制する方針をとった。そのため戸主を戸籍の支配者として,婚姻・養子縁組など送入籍をともなう家族員の身分上の行為に関し,戸長への届出権を付与した。その結果,家族員は身分上の行為について戸主の統轄に服さざるをえなくなった。98年施行の明治民法では,家族員の婚姻・養子縁組などに対する戸主の同意権が規定された。第2次大戦後,戸主制度は廃止。
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…平安京の場合,一つの坊が16の〈まち〉からなり,〈まち〉は1から16までの序数が付けられていた。〈まち〉は方40丈で,四行八門の32に地割され,最小の単位は南北5丈,東西10丈で戸主(へぬし)と呼ばれる宅地の区画である。32の戸主からなる方40丈の区画〈まち〉が,平安京都城制の基礎となっている。…
…すでに中世から,武士と農民層で広く行われてきた家長の地位と〈家〉の財産(家督)をおもに長男子に独占的に相続させるというこの制度を,近代国家に編入することこそは,明治政府の最重要な課題であった。まず,1871年(明治4)公布の戸籍法(壬申戸籍(じんしんこせき))で明治政府は,〈家〉の代表者の戸主に国家行政の最末端の権力の担い手たる戸長を兼ねさせた。このようにして制度としての〈家〉は天皇制国家の基底に据えられた。…
…このような戸の制度は,朝鮮諸国を媒介にして日本にも継受され,6~7世紀ごろ,朝鮮からの帰化系氏族を朝廷に組織する際に,〈部〉とは異なる新しい組織原理として,〈戸〉の制度が施行されたと推定される。中国律令では,同居共財の家をそのまま戸とする原則であり,日本律令も〈家長を以て戸主とせよ〉という唐律令の規定をそのまま継受するが,古代日本の家や家長のあり方は,中国とはいちじるしく異なっていた。豪族層では,家は家長を中心とする一つの経営体として存在していたと考えられるが,庶民層では,夫婦と子どもからなる小家族が一般には複数集まって生活しており,家長がはっきりとは存在していなかった可能性が強い。…
…また,相続は,財産法上の地位の承継であって,身分法上の地位(たとえば,夫であること)には及ばない。明治民法では戸主の地位の承継としての家督相続が認められていたが,現行民法はそれを全廃したため,相続は純粋に財産法上の地位すなわち権利・義務の総体の承継となった。なお,財産法上の権利義務であっても,扶養請求権のような一身専属的な性質を有するものは除外される(民法896条但書)。…
※「戸主」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
各省の長である大臣,および内閣官房長官,特命大臣を助け,特定の政策や企画に参画し,政務を処理する国家公務員法上の特別職。政務官ともいう。2001年1月の中央省庁再編により政務次官が廃止されたのに伴い,...
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