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戸籍 こせき

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

戸籍
こせき

国民各個人の親族,相続法上の重要な身分関係を明確にするために,各個人の血族,姻族,配偶関係を記載した公簿。 (1) 戸籍の編製 戸籍を編製する場合の原則につき,戸籍法6条は,市町村の区域内に本籍を定める1つの夫婦およびこれと氏を同じくする子を単位として編製するとしている。ただし,配偶者がない者について新たに戸籍を編製するときは,その者およびこれと氏を同じくする子を単位として編製し,単身者で父または母の戸籍に入らない者についてはその者だけで編製する。戸籍の記載順序は,(a) 夫婦が夫の氏を称するときは夫,妻の氏を称するときは妻,(b) 配偶者,(c) 子である (14条1項) 。子が数名あるときは出生の前後による (2項) 。戸籍を編製したのち,その戸籍に入るべき原因が生じた者については戸籍の末尾に記載される (同条3項) 。 (2) 戸籍の届け出 戸籍の記載は届け出によってされるのが原則である (戸籍法 15) 。この届け出には,それによって一定の身分関係の発生,変更という法律効果を生じる創設的届け出 (たとえば婚姻,協議離婚,任意認知) と,一定の事実や法律関係を事後に届け出る報告的届け出 (たとえば出生,死亡,裁判離婚) とがある。届け出は原則として届け出事件本人の本籍地または届け出人の所在地ですることを要し (25条1項) ,届け出の方法は書面または口頭による。その他,届け出の手続については戸籍法が規定している。戸籍に関する事務は,本来的には国の行政事務であるが,住民と最も密接な関係にある市町村長が管掌する (戸籍法1) 。

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デジタル大辞泉の解説

こ‐せき【戸籍】

各個人の家族的身分関係を明らかにするために記載される公文書。夫婦とその未婚の子で編成され、各人の氏名・生年月日、相互の続柄(つづきがら)などを記載し、本籍地の市町村に置かれる。旧制では、家を単位とし、戸主および一家を構成する家族で編成された。
律令制下、氏姓の確定あるいは課税のためなどの目的で作られた文書。戸主名、戸口数、課口・不課口の別、受田額などを記し、6年に一度作成された。律令制の衰退とともに廃絶。

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百科事典マイペディアの解説

戸籍【こせき】

国民個人の親族法上の身分関係を公証する制度。戸籍法(1947年)に定められる。本籍の市町村におかれ,夫婦およびこれとを同じくする未婚の子をもって編製され,本籍・氏名・出生・続柄など法定の事項が記載される。
→関連項目計帳郷戸戸籍抄本住民票諸陵寮人口統計保甲法律令制度

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防府市歴史用語集の解説

戸籍

 律令[りつりょう]時代に、人民を登録するために作られた台帳で、6年ごとに作られました。姓名・続柄・年齢などが書かれていました。

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世界大百科事典 第2版の解説

こせき【戸籍】

現行戸籍法(1947公布,48施行)による戸籍は,日本国民各個人の親族的身分関係(夫婦・親子の関係など)を公に証明するための公文書である。それはまた,国家が統治のために国民を把握するためのもっとも基本的な手段でもある。1871年(明治4)戸籍法から現行法に至る日本の近代的戸籍制度の歴史の中で,はじめは後者に重点があり,しだいに前者が強化されていったものの,この両者は,戸籍制度に期待された重要な機能であった。

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大辞林 第三版の解説

こせき【戸籍】

個人の家族的身分関係を明確にするため、夫婦と同居するその未婚の子を単位として、氏名・生年月日・続柄などを記載し公証する公文書。本籍地の市町村に置かれる。旧制では、家を中心とした身分関係を明確にするため、戸主および一家を構成する家族で編成された。
律令制下、班田収授や氏姓決定などのため、戸主・戸口・奴婢ぬひの氏姓名・性別・年齢や課不課の別、受田額などを記載したもの。六年に一度の作成が原則だが平安中期には廃すたれた。庚午年籍こうごねんじやくなど。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

戸籍
こせき

個人の重要な身分関係を明確にする目的でつくられる文書。現在は戸籍法(昭和22年法律第224号)にその制度が定められている。明治初年に戸籍制度ができたときは警察的取締りの目的もあったが、その後は人の身分関係を公示することを目的とする制度になった。1898年(明治31)に施行された民法親族編・相続編は、「戸主」に家族構成員を支配統率する権限を認めた、いわゆる「家」の制度を中心に人の身分関係を規律した。同年制定された旧戸籍法は、この「家」の範囲を確定して公示する役割を負わされた。すなわち、一つの戸籍に記載された者が一つの「家」を構成することとされたのである。ところが、各人の職業その他の必要から、同じ戸籍に記載された者がかならずしも共同生活を営むわけではなく、また「本籍」を自由に選定できたので、戸籍とそれによって定まる「家」はきわめて形式化していった。しかも、この形式的な戸籍に入ることが「家」に入ることであり、同じ家にいるかどうかが、親権の有無、子の婚姻に対する親の同意権の有無、扶養義務の有無、相続の順位などに大きな関係をもったので、国民の間に戸籍に対する深い関心が生まれた。また、それと同時に「戸籍に入れる」「戸籍を抜く」など、かなり恣意(しい)的に戸籍を操作する気風を生じた。
 第二次世界大戦後、民法改正に伴い、新戸籍法が制定された。民法改正によって「家」の制度は完全に廃止されたので、新戸籍法による戸籍はもはや「家」とはまったく関係なく、夫婦とその未婚の子を中心として、各人の身分関係を明らかにするものにすぎなくなった。便宜的に「氏(うじ)」の同じ者を同じ戸籍に記載しているだけであって、旧法のように同じ戸籍にいるかどうかによって、親族法・相続法上異なった取扱いを受けることはまったくなくなった。戸籍が別であっても(したがって氏が別であっても)、親子その他の親族関係が、戸籍が同じ場合と異なるわけではない。しかし、民法旧規定以来の戸籍に対する観念がまだ残っており、それが、同じ氏を称する者が同じ戸籍に記載されるという方法がとられていることと相まって、現在でもなお戸籍に対する国民の関心をかなりひきつけている。また、婚姻に際して、夫婦がそれぞれ従来の氏をもち続けるいわゆる夫婦別姓制度を選択的に認めるかどうか、現在(2009年)論議されている(夫婦別姓問題)が、この問題は、技術的・心理的に戸籍のあり方と密接に関連している。
 ヨーロッパ諸国では、最初はキリスト教会に備え付けられた帳簿に、出生・婚姻・死亡などの事項別に登録することによって人の身分関係を公示していた。フランスは革命によって、国家がこの権限を教会から奪って、これを整備したが、その方法は教会のとってきたものと同じく、事項別の身分登録であった。ほかのヨーロッパ諸国も、だいたいこのフランスの身分登録制に倣って制度を設けた。しかし、この制度によると、出生・婚姻・死亡などをその生じた土地で別々に登録するので、人の一生を通じての身分変動を統一的に把握するのがきわめて困難であった。そこで各国ともその後、婚姻・死亡その他の登録があれば、その旨をその人の出生証書に付記するなどの方法によってこれを可能にするよう努力してきた。しかしそれだけでは、まだ兄弟関係や姻族関係などがわからないので、夫婦とその間の子とを一冊にまとめて、これにそれらの者の身分関係を記載した「家族手帳」というものが創設されるようになった。ヨーロッパでは、このように個人の事項別の身分登録から出発して、結局日本の戸籍に類似した制度に到達したわけである。[高橋康之・野澤正充]

戸籍の作成およびその記載

各人の戸籍は、その本籍地の市区町村役場で作成され(戸籍法6条)、本籍の町名番地順につづられ「戸籍簿」として保管される(同法7条)。各戸籍は、一つの夫婦およびこれと氏を同じくする子ごとに一つの戸籍がつくられ、それ以外の者が同籍することはない(同氏同籍の原則)。同籍者の記載順序は、夫の氏を称する夫婦は夫を、妻の氏を称する夫婦は妻を筆頭に記載し、その次にその配偶者、さらに生年月日順に子が記載される(同法14条)。そしてそれぞれの戸籍では、本籍および筆頭者の氏名のほか、各人の氏名・生年月日、実父母の氏名およびそれとの続柄(つづきがら)、養父母の氏名およびその続柄などがそれぞれ所定欄に記入され(同法13条)、さらに出生、死亡、養子縁組、離縁、婚姻、離婚、その他の身分関係の変動に関する事項が記載される。[高橋康之・野澤正充]

戸籍の変動

現在の戸籍は夫婦とその未婚の子をもって編製されている。子が婚姻すると、その夫婦はいずれも従来の戸籍からは除かれ、新たに夫婦中心の戸籍が編製される(戸籍法16条)。また、婚姻していなくても、子をもった場合には、その親子のために新しい戸籍が編製される(同法17条)。したがって、3世代が同一の戸籍に記載されることはない。
 父母の氏を称する子は父母の戸籍に、父または母の氏を称する子はそれぞれ父または母の戸籍に入る(同法18条)。子が父母のどちらかと氏を異にする場合には、子は家庭裁判所の許可を得て、氏を父または母と同じものに変えることができるが、そのようにして氏が変われば、同じ氏となった父または母の戸籍に入る。また、養子は養親の戸籍に入る。離婚の場合には、婚姻の際、氏を改めた夫または妻が、復籍すべき従前の戸籍があるときは、とくに新戸籍編製の申出をしない限り、それに復籍する(同法19条)。さらに成年者は自由に分籍して新戸籍を編製してもらうことができる。[高橋康之・野澤正充]

戸籍の謄・抄本など

戸籍簿は、だれでも所定の手数料を納め、戸籍謄本・戸籍抄本の交付を請求することができる。ただし、本人またはその配偶者、直系尊属(父母、祖父母など)、直系卑属(子、孫など)が請求する場合、もしくは公務員、弁護士など、一定の職にある者が職務上請求する場合を除いては、請求の事由を明らかにしなければならない(戸籍法10条の2)。[高橋康之・野澤正充]

戸籍の届出

前記のような戸籍の作成やそれへの記載は各人からの届出に基づいてするのが原則である。そのため、戸籍法は各種の届出につき、届出人、届出地、届書の記載事項、届書の通数、添付書類などをそれぞれ定めている。なお出生届や死亡届のように届出期間を定めているものがあり、この種の届出は届出期間を過ぎてしまうと過料に処せられる。
 各種の届出のうち出生届や死亡届は、すでに法律的な効果を生じている事実を報告するだけのものであるが、婚姻届や離婚届(養子縁組届・養子離縁届・認知届も同様である)は、届け出ることによって初めて法律的な効果を生ずるものである。だから、挙式して同棲(どうせい)しても婚姻届をしなければ法律上の夫婦とはならず、単に内縁関係にとどまり、事実上別れていても離婚届を出さなければ法律上は依然夫婦である。ただし、離婚・離縁・認知などが裁判で決まった場合には、その裁判の確定によってその効果が生じ、届出は報告的なものとなる。[高橋康之・野澤正充]

戸籍の記載に誤りがある場合

真実にあわない届出がなされて戸籍に記載されていても、法的効果は真実の関係によって定まる。しかし戸籍の記載はいちおうの推定力をもつから、真実に反すると主張する者はそのことを証明しなければならない。戸籍を訂正したいと思う場合には、関係者は家庭裁判所の許可を得たうえで戸籍訂正申請をし、その記載を訂正してもらうことができる(戸籍法113条以下)。ただし、往々みられるように、自分の子を他人の子として届け出た場合のように主要な身分関係の記載を訂正するには、単に許可を得るだけでなく、親子(しんし)関係不存在確認などの裁判を受けて戸籍訂正申請をすることが必要である。[高橋康之・野澤正充]

戸籍に関する新しい動き

(1)戸籍のコンピュータ化 戸籍事務の適正化と迅速化を図る目的で、1994年(平成6)の戸籍法改正以来、戸籍のコンピュータ化が進められた。これは、戸籍を磁気ディスクまたはこれに類するものに記録し、それを蓄積したものをもって戸籍簿とするものである。戸籍謄本または戸籍抄本の請求があった場合には、磁気ディスクに収められた戸籍に記載された事項の全部または一部を証明した書面をもって戸籍の謄本または抄本にかわるものとする。この改正は、時代の流れに即応して記録の媒体を変更しようとするものであって、戸籍の編製の基本方針に変更はない。
(2)後見登記の発足 1999年(平成11)民法改正によって、従来の禁治産・準禁治産の制度は廃止され、成年後見制度がこれにかわった。それと同時に、公示方法としての戸籍への記載は廃止され、後見登記の制度が新設された(後見登記等に関する法律、平成11年法律第152号)。禁治産・準禁治産の戸籍への記載を「戸籍が汚れる」といって嫌う国民感情に配慮したものである。「登記事項証明書」は、本人とその周辺の人たち(後見人、配偶者、4親等内の親族など)しか請求できない(後見登記法10条)。身分に関する事項のプライバシー保護の例であると同時に、事項別の身分登録の一例とみることもできる。[高橋康之・野澤正充]

戸籍の沿革


中国
人民と土地を戸籍によって掌握し、租税賦課の対象とすることによって国家の基礎を固めるという政治理念は、『論語』や『周礼(しゅらい)』の関係記事によって、古く紀元前の周代にその源流があると考えられていたが、1970年代後半の甲骨文や金文の研究によって、その推測どおり周代以降に戸籍制度が整備されていったことが明らかにされた。3~4世紀の晋(しん)代の戸籍=「戸口黄籍(ここうこうせき)」は長さ1尺2寸(30センチメートル強)の札が用いられ、官役の対象となる者の姓名が記されている。紙の発明と利用は漢代にまでさかのぼるが、晋代の書写材料の主流は依然として簡牘布帛(かんどくふはく)(竹札・木札・布・絹)であり、東晋・十六国時代になってやっと紙が一般に用いられるようになった。現存最古の戸籍は、晋が滅ぶ数年前の416年(建初12)の甘粛(かんしゅく/カンスー)省敦煌(とんこう)のもので、オーレル・スタイン探検隊によって発見されたものである。この戸籍は戸ごとに「敦煌郡敦煌県西宕郷高昌里・身分・戸主名・年齢」の表記で書き出し、以下家族を1人1行で列挙し、下方に男、女、丁(てい)(課役をあてられる者)、中別の人数内訳と合計を記すという書式によって作成されている。中国の戸籍制度は唐代にもっとも整備されたが、その基本はすでに隋(ずい)代に定まっていたといってよい。唐の戸籍制度では、戸籍は1郷ごとに1巻として3年ごとに3通ずつつくられ、それぞれ県と州と中央の尚書省戸部に送られて保管された。今日残っている中国の古代籍帳の大部分はこの唐代のものであるが、これによると、律令制度の変質に伴って戸籍の記載様式や内容も変化していったことが知られる。この時代の戸籍は戸口の籍と田宅の籍からなっており、戸口の籍では戸主と家族の姓名年齢、両者の続柄、男女および年齢による区分、妻・妾(しょう)・寡(か)の別、健康の度合いによる区分、身分、戸口の出生・死亡・逃亡などの異同、戸の等級と課戸・不課戸の別などが注記されている。田宅の籍では戸口に給すべき田地の総額、その已受(いじゅ)と未受の内訳、已受田については永業田(えいぎょうでん)・口分田(くぶんでん)・居住園宅などの別とその面積をあげている。戸籍は唐代以後もつくられたが、敦煌の宋(そう)代の戸籍によると、公課徴収の基準とされていたことがわかる。元(げん)代にも公課=「丁税(ていぜい)」のために戸籍がつくられ、明(みん)・清(しん)時代にも課税のために賦役黄冊(ふえきこうさつ)という戸籍に似た帳簿がつくられたり、人民を民・軍・匠(しょう)に区分した戸籍がつくられた。[平田耿二]
日本
日本における編戸・造籍の実施は、わが国に渡来した秦人(はたひと)を欽明(きんめい)天皇元年(540)8月に戸籍に編貫して7053戸を全国に安置したとする『日本書紀』の記事がもっとも早い例で、6世紀前半ごろのことと考えられる。欽明天皇30年(569)には王辰爾(おうじんに)の甥(おい)である胆津(いつ)が大和(やまと)朝廷の命によって吉備(きび)の白猪屯倉(しらいのみやけ)の田部の丁籍をつくっているから、造籍による人民支配の方式は、その後、渡来人の協力のもとに朝廷の直轄領において実施されたことが知られる。この編戸・造籍の制は、7世紀なかばの大化改新の際に全人民の地域的編成(行政村落の設置)と政治的編成(定姓)の手段として制定され、まもなく実行可能な地域から施行が開始された。そして、670年(天智天皇9)についに全国的な規模での造籍が完成し、この戸籍は全人民の掌握と定姓が実現した記念塔として、作製年の干支年をとって「庚午年籍(こうごねんじゃく)」と名づけられ、その後、氏姓を正すための根本台帳として永久保存される定めとなった。天武(てんむ)・持統(じとう)朝になって中国律令の継受による民政制度の整備が推進されたために、戸籍は定姓の機能と同時に課税の原簿の機能も果たす必要が生じ、690年(持統天皇4)に浄御原令(きよみはらりょう)に基づいた全国的な造籍が実施された。この戸籍は以後の戸籍にその内容を忠実に伝えていくものであったから、庚午年籍のように永久保存する必要はなかったが、律令による人民支配体制成立の記念塔であったため、令制下ではその干支年をとって「庚寅(こういん)年籍」と称して高く評価され、人々に記憶された。
 701年(大宝1)に大宝令(たいほうりょう)が制定されて令制の戸籍制度は完成したが、それによると、造籍は6年に一度行われ、籍年の11月上旬より翌年の5月30日までに各3通をつくり、うち2通をその国の貢調使が期日(近国10月30日・中国11月30日、遠国(おんごく)12月30日)までに太政官(だいじょうかん)に提出し、1通は国にとどめる定めであった。太政官に提出された2通のうちの1通は中務(なかつかさ)省に保管されて天皇に供覧し、1通は民部省に送られて保管され施政の便に供された。なお戸籍は30年間(戸籍の作成周期6年を1比(ひ)とよぶが、戸令(こりょう)では通常の戸籍の保存期間を5比と制定)保存したあと順次廃棄処分され、律令行政文書などの紙背に利用された。現存する古代戸籍は27通で、内訳は8世紀のもの20通、9世紀と推定されるもの2通、10世紀のもの4通、11世紀初頭のもの1通である。
 戸籍の記載様式・内容については、各時期それぞれ異なっているが、大きく分けると大宝令施行以前と以後とに分けて大過ないであろう。大宝令以前の浄御原令に基づいた戸籍としては、702年の美濃(みの)国(岐阜県)の諸戸籍があり、その記載様式は、戸ごとに「五保・三等戸・官勲位・戸主名・戸口総数・二行割書きによる戸口の男女奴婢(ぬひ)別と年齢区分(年秩(ねんちつ))による戸口集計」で書き出し、「九等戸・戸主名・二行割書きによる年齢と年秩」に続けて、1行3口の割で家族の姓名・年齢と続柄(つづきがら)を男・女・奴・婢の順に記載している。各戸の首部に後の計帳にみられるような課・不課別の口数を記載しているのは、浄御原令制下の戸籍が計帳の役割を果たしていたためである。大宝令によってつくられた戸籍としては、702年の西海道(さいかいどう)の諸戸籍があり、「戸主・官勲位・姓名・年齢・年秩・課戸(不課戸)」の表記で書き出し、以下1行1口の割で家族を続柄・年齢・年秩を付して列記し、末尾に課口・不課口別の小計とその戸の受田額を載せている。
 律令の戸籍法は本貫(ほんがん)(本籍)主義であったため、本貫を固定しておくために里数も、50という戸数も増やすことができず、そのため戸内人口の漸増と血縁関係の複雑化を招いた。こうして戸籍が農民の実態からしだいに遊離してきたため、律令政府は715年(霊亀1)郷里制を施行して戸籍法を一部改定した。これによると、戸内に派生した独立家族を一戸として認定し、これまでの50の戸を郷戸(ごうこ)、郷戸内部で新たに独立を許された戸を房戸(ぼうこ)と名づけて公認し、もし房戸が他の地域に転居していた場合は、新たに制定された土断(どだん)法に基づいて、近隣の郷戸に入籍することとした。これによって里制施行当初と同様に、ふたたび農民の実態掌握と本貫主義の融合が可能となった。
 しかし、このころから財政収入の重点が徭役(ようえき)労働からしだいに稲に移り始めたこともあって、740年(天平12)に戸籍によって個々の独立農民を直接掌握することを断念し、郷制を施行して郷里制を廃止し、ふたたび1里(郷)を50戸の郷戸だけで編成することとし、本家である郷戸主を貢租徴税の責任者とすることによって、戸内の2~4の分家(郷里制下の房戸にあたる)を統轄させた。
 郷制施行以後、農民の課役忌避の動きはさらに活発となり、戸籍は偽籍化した。平安初期の行政改革によって戸籍制度も一度立ち直るかにみえたが、9世紀の中ごろから班田収授制がしだいに行われなくなると、農民は口分田を確保するために死亡者を除籍しなくなり、また課役忌避のため男子を女子と偽ったり、子供が生まれても口分田を班給される目途がたたないために入籍しなくなるなど、戸籍はほとんど高齢の女子によって占められるようになった。10世紀の初めに班田制が廃絶すると戸籍の意義が失われたため、戸籍は計帳の役割を果たすようになり、記載様式も計帳に近くなった。内容は相変らず偽籍性の強いものであったが、10世紀中ごろ以降は課丁を中心とする戸籍に変わっていき、男子はむしろ農民の実態に近いものとなったが、律令制の衰退により、11世紀に入るとほとんどつくられなくなったようである。なお、平安時代の戸籍としては、10世紀の阿波(あわ)(徳島県)、周防(すおう)(山口県)、讃岐(さぬき)(香川県)などのものが現存している。
 鎌倉・室町時代は無戸籍の時代といわれているが、戦国大名のなかには富国強兵策の一つとして人別改(にんべつあらため)を行ったものもある。人別改は江戸時代になって各藩で実施され、人別帳(人畜改帳、家数人馬書上帳)がつくられるようになったが、1638年(寛永15)の島原の乱後、キリシタン禁圧のために設けられた宗門改制度がしだいに整備されてくると、これとあわせて宗門人別帳がつくられるようになった。宗門人別帳には、労働力の把握と宗門改のために戸主・家族・奉公人の名と年齢および所属寺院などが書かれたが、同時に村方から町方への人口移動を防止する目的をもち、封建時代の戸籍の役割を果たした。
 幕末、萩(はぎ)藩では戸籍の制を設けたが、この制度が1868年(明治1)の山城(やましろ)国戸籍となり明治政府に受け継がれた。1871年の戸籍法は全国的に地域別の戸籍をつくることとし、そのために各地方を区に分かち、それぞれに正副戸長を置いて事務をとらせることにして、翌年2月実施された。この第1回につくられた戸籍(壬申(じんしん)戸籍)は、明治政府が作成した最初の全国的な戸籍として知られている。戸籍とともに戸籍表と職分表とが数か町村ごとにつくられたが、これは一種の国勢調査であった。1871年の制では古例により6年ごとに戸籍を作成することになっていたが、1873年にこの制は廃止された。1886年の内務省令および訓令によって戸籍法の充実が図られたが、1898年(明治31)には、民法とともにその付属法典として親族法上・相続法上の身分関係の記載を主目的とする戸籍法が施行されるに至った。もっとも、この戸籍法では西洋流の個人本位の身分登記簿についても定めたが、日本古来の家本位の戸籍簿と身分登記簿との併存は不必要な重複をもたらしたため、1914年(大正3)の改正で身分登記簿の制は廃止された。[平田耿二]
『岸俊男著『日本古代籍帳の研究』(1973・塙書房) ▽池田温著『中国古代籍帳研究』(1979・東京大学出版会) ▽沢田省三著『夫婦別氏論と戸籍問題』(1990・ぎょうせい) ▽法務省民事局第二課戸籍実務研究会編著『くらしの相談室 戸籍Q&A――100の問に答える』(1990・有斐閣) ▽榊原富士子著『女性と戸籍――夫婦別姓時代に向けて』(1992・明石書店) ▽比較家族史学会監修、利谷信義・鎌田浩・平松紘編『戸籍と身分登録』(1996・早稲田大学出版部) ▽奥田安弘著『市民のための国籍法・戸籍法入門』(1997・明石書店) ▽高橋昌昭著『一目でわかる戸籍の各種届出』(1998・日本加除出版) ▽田代有嗣監修、高妻新著『体系・戸籍用語事典―法令・親族・戸籍実務・相続・旧法』改訂版(2001・日本加除出版) ▽戸籍実務研究会編『新戸籍用語事典』(2002・六法出版社) ▽比較家族史学会監修、利谷信義・鎌田浩・平松絋編『戸籍と身分登録』新装版(2005・早稲田大学出版部) ▽福岡法務局戸籍実務研究会編『最新 戸籍の知識122問』(2008・日本加除出版) ▽石原豊昭・國部徹・飯野たから著『戸籍のことならこの1冊』改訂版(2009・自由国民社)』

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世界大百科事典内の戸籍の言及

【氏子】より

…江戸時代には氏神を産土(うぶすな)神とする考え方が一般化し,氏子が産子(うぶこ)と呼ばれる傾向も出るが,民衆の離村移住を統制するため幕府はこの産子の原理を援用して出生地の神社に氏子身分を固定しようとした(《徳川禁令考》)。 明治維新後,政府は祭政一致の方針のもとに氏子制度を法制化し,これによって寺請(てらうけ)制度に代わるキリシタン禁制と戸籍の整備をはかるとともに国民教化の単位とした。すなわち1871年(明治4),太政官布告の〈郷社定則〉および〈大小神社氏子調規則〉は,同年制定の戸籍法にもとづく戸籍区(1区当り1000戸)ごとに置かれた郷社に区内全住民を氏子として登録せしめるものであった。…

【庚午年籍】より

…670年(天智9)庚午の年に作成された戸籍。戸籍は地域の住民を登録して課税するために,朝廷の直轄領では渡来人を使って6世紀から作成されていたといわれ,646年(大化2)の改新詔では全国を直轄領として全国的な戸籍を作成する方針をたてたようである。…

【相続】より

…その氏上の地位は,嫡系継承の適用外たることが継嗣令に規定されており,実際の例についてみても,族長的地位の継承はかなりに広い範囲での傍系継承である。また庶人については,戸籍に嫡子注記があり,次代の戸主には嫡子をあてるというのが当時の法解釈である。しかし,実際には戸主の地位は主として兄弟継承によったことが,戸籍の分析より明らかにされている。…

【続柄】より

戸籍簿および住民票の記載に際して用いられる,一定の者との関係を示す用語。日本の戸籍制度は,欧米の個人別身分証書制度(身分登録制度)と比べて,一定の人間を中心として,その人からの続柄をもって他の人をとらえられるという特徴をもっている。…

【唐】より

…税役と兵制を確保するには,丁男と中男をもれなく把握しなければならない。そのために丁中制とよばれる制度によって,年齢による成年,未成年の別を決めたのであり,その台帳にされたのが計帳戸籍であった。計帳は,毎年,戸主から提出された手実という申告書に基づいていた。…

【賦役黄冊】より

…中国,明代の戸籍簿,同時に租税台帳を兼ねた。単に黄冊ということも多い。…

【浮浪・逃亡】より

…日本古代律令体制のもとでの本籍地離脱者をさす法律用語。当時の人々は戸籍計帳に登録され,その本籍地(本貫)に居住せしめられたが,きびしい規制のもとでも,本籍地を離脱して流浪したり他所に居住したりする者があった。両者をあわせて〈浮逃〉とも略称される。…

【本籍】より

…一般には〈戸籍の所在地〉と定義され,都道府県,市区町村,地番号または街区符号の番号で表示される(戸籍法6,13条。戸籍法施行規則3条)。…

【身分登録制度】より

…人の出生から死亡に至るまでの民事的な身分関係civil status(英語),l’état civil(フランス),Personenstand(ドイツ)を,国家等の公の機関がその管理する帳簿に登録し,一定の者からの請求に応じてそれを公的に証明する制度のこと。日本では,戸籍がこれに当たる。およそ社会あるところその構成員を把握する必要があるといえるが,その把握のしかたは国によって,また,時代によって異なる。…

※「戸籍」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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