大庭六番村(読み)おおばろくばんむら

日本歴史地名大系 「大庭六番村」の解説

大庭六番村
おおばろくばんむら

[現在地名]守口市大日だいにち町二―四丁目など

単に六番村ともいい、四番村の西に続く。中世後期には田井たいとよばれていたらしい(→大庭正保郷帳の写とみられる河内国一国村高控帳によると高三八九石余、山城淀藩永井尚政領、小物成として蓮年貢米一斗。領主の変遷は宝永七年(一七一〇)まで二番村に同じ。以後は幕府領と推定される。宝暦一三年(一七六三)より守口宿加助郷村となる。勤高三五五石(同年「加助郷一件」守口市史)。明治一九年(一八八六)一〇月、四番村・三番村と合併して大日村となる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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