大応山(読み)だいおうやま

日本歴史地名大系 「大応山」の解説

大応山
だいおうやま

[現在地名]岩国市平田三丁目

平田ひらた西南にある標高四〇五・五メートルの山で、古くはその東北麓に大応寺という禅寺があったと伝える。この寺の境内にあたる所に村上天皇以下四代に仕えた鎮守府将軍源(多田)満仲の墳墓と称される塚がある。また「玖珂郡志」はこの墓について、「満仲公六代孫檜垣内蔵丞トイヘル者、治承五年二月、乱ヲサケテ此所ニ隠レ住、法体シテ蓮生ト云、小庵ヲ結ブ、此人ノ屋敷、今檜垣内是也、山田彦七重忠・入野蔵人基治、皆一同ニ下リ此辺ニ住ス、是先祖ノ神霊ヲ祭ル、又、郷俗曰、此墓、昔源満仲朝臣ノ息美女丸ノ命ニ替テ死セシ、幸寿丸ガ墓也ト云、又一説ニ、弘中三河守子息ノ塚也ト」と記す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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