日本歴史地名大系 「大明石村」の解説 大明石村おおあかしむら 兵庫県:明石市大明石村[現在地名]明石市茶園場町(さえんばちよう)・鷹匠町(たかしようまち)、神戸市西(にし)区玉津町上池(たまつちようかみいけ)明石城の西を流れる明石川東岸と、城内の剛(ごう)ノ池および西下馬(にしげば)町の北側など、明石城下建設の際都市計画から漏れた地域からなる(文久三年明石町旧全図)。かつては六甲(ろつこう)山地西端の人丸(ひとまる)山(別称赤松山)の麓から浜辺にかけて広がっていた二ヵ村の一つで、大蔵谷(おおくらだに)村から王子(おうじ)村へ北西に延びた山陽道沿いに発展していた。天正三年(一五七五)六月九日明石越前守は雨乞のため、大明石岩屋(いわや)殿拝殿において一一〇余人による経典書写ののち、海上で音楽を奏し秘蔵の仏舎利を海底に投下した(「岩屋殿雨請記録」太山寺文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by