日本歴史地名大系 「大根布村」の解説
大根布村
おおねぶむら
[現在地名]内灘町大根布・大根布一―八丁目・大学 一―二丁目・大清台
河北潟南部、同潟と日本海に挟まれ、砂丘を背に潟に面して細長く集落を形成する。南は
寛文七年の三ヵ国浦方三〇〇石積以上の船数覚(「御分国船持中定書等諸留」中山文書)によれば、久兵衛が一千四〇〇石積(二四人乗)、四兵衛が一千二〇〇石積(二〇人乗)の船を所有している。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
河北潟南部、同潟と日本海に挟まれ、砂丘を背に潟に面して細長く集落を形成する。南は
寛文七年の三ヵ国浦方三〇〇石積以上の船数覚(「御分国船持中定書等諸留」中山文書)によれば、久兵衛が一千四〇〇石積(二四人乗)、四兵衛が一千二〇〇石積(二〇人乗)の船を所有している。
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