河北郡南西部と金沢市にまたがる潟。
古くから当潟をめぐり境界相論があった。正安二年(一三〇〇)三月二三日の関東下知状(賀茂別雷神社文書)は、京都上賀茂社領
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
石川県中央部にある潟湖。金沢市、河北郡津幡(つばた)町、かほく市、内灘(うちなだ)町に接する。干拓前の面積21.6平方キロメートル、最大深度2.0メートル。西側に内灘砂丘が発達し、浅野、金腐(かなくさり)、森下(もりもと)、津幡、宇ノ気川などが流入し、大野川で日本海に排水する。かつて潟漁業のほか、河口の大野港から舟運が発達し、大雨時はよく周辺水田に冠水し被害を与えた。幕末の銭屋五兵衛(ぜにやごへえ)の埋立て事件で知られるが、1971年(昭和46)農林省(現、農林水産省)によりほぼ3分の2が干陸され、畑作、酪農が営まれている。砂丘を切り放水路ができ、現在面積は4.1平方キロメートル、延長15キロメートル、最大深度5.4メートルで、釣り、ヨット、貯木場などに利用されている。
[矢ヶ崎孝雄]
石川県中部海岸寄り,金沢平野の北部にある潟湖。湖岸には金沢市,かほく市の旧宇ノ気町,河北郡の津幡町,内灘町がある。縄文時代の海進の時期は湾に近かったが,その後海岸砂丘の発達が進行するにつれ潟湖となった。潟の最深部は約2.5mと浅く,加賀藩時代から湖岸の浅い部分の埋立て,干拓が進められてきた。とくに有名なのは幕末期金石の豪商銭屋五兵衛による事業であるが,未完成に終わった。1964-71年の国営干拓事業以前は,東西4km,南北約8km,周囲25km,面積は約22.5km2であった。流入河川のおもなものは浅野,金腐(かなくさり),森下(もりもと),津幡,能瀬,宇ノ気などの諸河川で,排水河川は大野川のみであったが,干拓事業にともない西側の内灘砂丘を切って,放水路が開削された。国営干拓事業により潟面積の60%にあたる約1400haが干拓され,約1100haの農地が造成された。この事業は干拓による農地造成だけではなく,沿岸既耕地約3200haをはんらんによる水害からまもるとともに,排水改良を行い生産性の向上を目ざしたものである。
干拓前の河北潟は内水面漁業が盛んで,冬はフナ,コイ,ワカサギ,夏場はウナギ,ボラなどが漁獲され,砂丘側では内灘町の大根布(おおねぶ),旧宇ノ気町の大崎,東側では金沢市の八田町がとくに漁家が多かった。しかし干拓事業の着手とともに1963年漁業権は消滅した。
執筆者:斎藤 晃吉
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…全国に支店34ヵ所,持船は約200艘を数えたともいう。49年(嘉永2)三男要蔵名義で大規模な河北潟埋立新開(しんがい)に着手したが,漁民の反対を受け,52年潟内に死魚が浮き,魚を食べて中毒死する者も出たため流毒の疑いがかかり,その年9月,その男子や関係者とともに捕らえられた。もっぱら投毒容疑で吟味を受けたが,世上には対ロシア密貿易や南部・津軽材木買占め容疑説もあった。…
※「河北潟」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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