日本歴史地名大系 「大槙村」の解説 大槙村おおまきむら 山形県:村山市大槙村[現在地名]村山市大槙最上川西部、樽石(たるいし)川下流に位置し、南は稲下(いなくだし)村、西は白鳥(しろとり)村。縄文時代の鹿(か)の子沢(こざわ)A遺跡および奈良―平安期の川口(かわぐち)A遺跡がある。最上氏領から元和八年(一六二二)新庄藩領となり、下谷地(しもやち)郷に属した。元和八年の御前帳写に大迷之村とあり、高一千二三六石余。正保郷帳には大真木村とあり、田方一千二〇五石余・畑方三〇石余。新田本村鑑によれば、宝永六年(一七〇九)の高一千二二三石余。吉村本村鑑によると、文化元年(一八〇四)の高一千三六七石余・反別一三〇町二反余、寛政六年(一七九四)の家数一〇八・人数五五一、文化九年の家数一一〇・人数五三八、同一二年の馬数二五で、枝郷は中村(なかむら)・野口(のぐち)・躍滝(おどりだき)・矢崎(やざき)・そり田(た)・田中(たなか)・舟場(ふなば)・平林(ひらばやし)・北(きた)ノ口(くち)・川口・鹿子沢(かのこざわ)とある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by