日本歴史地名大系 「大沼田新田」の解説 大沼田新田おおぬまたしんでん 東京都:小平市大沼田新田[現在地名]小平市大沼町一―二丁目・美園町(みそのちよう)一―三丁目・天神町(てんじんちよう)二丁目北野中(きたのなか)新田の西・北にある武蔵野新田の一。大岱(おんた)村(現東村山市)の名主弥左衛門(当麻姓)が享保六年(一七二一)に願出て、同九年五月に割渡しを受けた(「武蔵野開発反別割渡証文」当麻勤家文書)。この場所は一〇―二〇町程度に細分されて近隣の村々に割渡されたようで、大岱村に割渡されたのは一七町歩である。勝楽寺(しようらくじ)村(現埼玉県所沢市)の譲証文(同文書)などによれば、耕作地として遠いなどの理由により、勝楽寺村・川部堀内(かわべほりのうち)村・堀口(ほりぐち)村・町谷(まちや)村(現同上)、清水(しみず)村・後ヶ谷(うしろがやと)村(現東大和市)、上谷保(かみやぼ)村(現国立市)分が地続きの大岱村へ譲渡され、享保一四年の開発場酉御取箇割付(当麻弥左衛門家文書)には反別一三二町余の土地が計上されている。元文元年(一七三六)の検地帳(同文書)では反別一二四町歩弱、村高三二一石弱となっている。検地帳の名請人八八人のうち屋敷持は三三人で、大半が大岱村や廻り田(めぐりた)村(現東村山市)の持添百姓。村名は享保二一年三月の検地帳(同文書)までは大岱村新田であるが、元文元年一二月の前掲検地帳には大沼田村新田と記され、大沼田新田で定着するのは寛保三年(一七四三)のことである(「年貢割付状」同文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 ルート配送ドライバー/未経験歓迎/土日休み/昇給最大3回 株式会社ロジカル 東京都 葛飾区 月給28万3,975円~40万円 正社員 大手ファストフード店向けのバンズ配送 株式会社シティデイリーサービス 東京都 羽村市 日給1万5,332円~ 正社員 Sponserd by