小平市(読み)コダイラシ

デジタル大辞泉 「小平市」の意味・読み・例文・類語

こだいら‐し〔こだひら‐〕【小平市】

小平

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日本歴史地名大系 「小平市」の解説

小平市
こだいらし

面積:二〇・四六平方キロ

多摩地区の北東部に位置し、北は東村山市・東久留米市、東は西東京市、南は小金井市・国分寺市、西は立川市・東大和市に接している。武蔵野台地のほぼ中央にあって、西から東へ緩やかに傾斜した標高一〇〇―六〇メートルの地形で、わずかに茱萸ぐみ窪・石塔せきとうヶ窪・山王さんのう窪・平安へいあん窪・天神てんじん窪・なが窪などの窪地が存在する。現在ではほとんど流れを確認できないが、長窪は石神井しやくじい川の源流であり、武蔵野台地の尾根玉川上水が西から東へ流れている。市の中央部を青梅おうめ街道が東西に貫き、並行して新青梅街道・東京街道・五日市街道が走る。南北には府中街道・新小金井街道・小金井街道が通る。鉄道は東西に西武新宿線および同拝島線、南北に西武国分寺線・同多摩湖線とJR武蔵野線が通る。

〔原始・古代・中世〕

市域は平坦で起伏を欠き、自然の水源に乏しい。しかし下末吉ロームの堆積期から武蔵野ロームの堆積期にかけて形成された武蔵野扇状地を流れる古多摩川の伏流水は、かつて原扇状地性礫層表面の各所に湧水を生じさせていた。こうした湧水が市域南東部では立川ローム堆積時、すなわち旧石器時代に現在の石神井川の源流谷頭部として存在し、これを取巻くように鈴木すずき遺跡が形成された。一方、窪地地形の一つに木葉形尖頭器が採集された小川三番おがわさんばん遺跡がある。ほかには奈良時代の竪穴住居跡と考えられる八小はちしよう遺跡(小平第八小学校校庭)が鈴木遺跡の範囲内に所在するのみであり、近世以前の人間活動の痕跡はきわめて少ない。古代には幅一二メートルの東山道武蔵路が縦貫し、中世には鎌倉街道上道が通っていた。元弘三年(一三三三)新田義貞の鎌倉攻めでは久米川くめがわ(現東村山市)分倍河原ぶばいがわら(現府中市)で合戦が行われ、鎌倉街道沿いの当地にも戦乱が及んだと思われる。

〔近世〕

古代以来引続き多摩郡に属した。慶長八年(一六〇三)徳川家康によって江戸幕府が開かれると、南北の道に代わって江戸へ向かう東西の道が主要な道となり、とくに青梅街道は上成木かみなりき村・北小曾木きたおそぎ(現青梅市)の山地から石灰を搬出するため、江戸と青梅との間を結び付けて整備された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「小平市」の意味・わかりやすい解説

小平〔市〕
こだいら

東京都中央部,武蔵野台地上に広がる市。1962年市制。地名は最初の開拓村である小川村の「小」に,土地が平らであることから「平」を付してつけられた。昭和初期までは雑木林やマツ林,畑などの広がる純農村地帯であった。五日市街道青梅街道沿いの街村は江戸時代の新田集落。昭和初期から教育機関,軍関係施設が置かれた。第2次世界大戦後,住宅や工場が進出し,近郊都市として急速に発展。一橋大学小平キャンパス,津田塾大学国土交通大学校(旧建設大学校),タイヤ工場などが立地北部小平霊園,西端に東京都薬用植物園がある。西武鉄道新宿線,多摩湖線,国分寺線,JR武蔵野線が通る。面積 20.51km2。人口 19万8739(2020)。

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