多摩地区の北東部に位置し、北は東村山市・東久留米市、東は西東京市、南は小金井市・国分寺市、西は立川市・東大和市に接している。武蔵野台地のほぼ中央にあって、西から東へ緩やかに傾斜した標高一〇〇―六〇メートルの地形で、わずかに
市域は平坦で起伏を欠き、自然の水源に乏しい。しかし下末吉ロームの堆積期から武蔵野ロームの堆積期にかけて形成された武蔵野扇状地を流れる古多摩川の伏流水は、かつて原扇状地性礫層表面の各所に湧水を生じさせていた。こうした湧水が市域南東部では立川ローム堆積時、すなわち旧石器時代に現在の石神井川の源流谷頭部として存在し、これを取巻くように
古代以来引続き多摩郡に属した。慶長八年(一六〇三)徳川家康によって江戸幕府が開かれると、南北の道に代わって江戸へ向かう東西の道が主要な道となり、とくに青梅街道は
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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