大津庄・大津郷(読み)おおつのしよう・おおつごう

日本歴史地名大系 「大津庄・大津郷」の解説

大津庄・大津郷
おおつのしよう・おおつごう

大津谷おおつや川流域一帯に比定される庄園、および郷地名。伊勢神宮領大津御厨の地が、伊勢神宮の支配を離れたのちに大津庄とよばれるようになったと考えられる。貞治六年(一三六七)と推定される諸国檀那願文帳(熊野本宮大社文書)に「するかのくに大津本庄大草」とみえ、住人の「むまの二郎・大内四郎・まこ太郎・せいたん」の四人が熊野本宮(現和歌山県本宮町)に参詣している。観応三年(一三五二)九月一〇日の伊達景宗軍忠状(駿河伊達文書)によれば、今川範氏方に属した伊達景宗が同年八月二〇日から大津城に立籠った反尊氏党の佐竹兵庫入道・藁科以下を攻めて九月八日同城を陥れている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報