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今川範政 いまがわ のりまさ

美術人名辞典の解説

今川範政

室町時代の武将・歌人。駿河国守護。上総介。泰範の子。法号は今林寺慶堂道賀。上杉禅秀の乱に際しては、その鎮圧に功をあげる。歌人としても有名であり、正徹正広などとも歌の友として交わり、その歌は『新続古今和歌集』『扶桑拾葉集』等にも選ばれた。また能書打物などにおいても優れ、名人の聞えが高かった。永享5年(1433)歿、70才。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

今川範政 いまがわ-のりまさ

1364-1433 室町時代の武将。
貞治(じょうじ)3=正平(しょうへい)19年生まれ。今川泰範の子。応永21年駿河(するが)(静岡県)守護となる。上杉禅秀の乱では鎌倉公方(くぼう)足利持氏をたすけ鎌倉に出兵。晩年末子の千代秋丸に家督をつがせようとして内紛をまねいた。歌人としても知られ,「源氏物語提要」をあらわした。永享5年5月27日死去。70歳。

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朝日日本歴史人物事典の解説

今川範政

没年:永享5.5.27(1433.6.14)
生年:貞治3/正平19(1364)
室町時代の武将。泰範の子。民部大輔,上総介。応永16(1409)年,家督を継承。駿河守護となる。同23年の上杉禅秀の乱では,室町幕府の命により鎌倉公方足利持氏を支援。永享4(1432)年9月,将軍足利義教の富士遊覧に際してはこれを接待する(『覧富士記』)。この前年より,幕府に対し末子千代秋丸(母は扇谷上杉氏)への家督継承を申請していたが,義教は対関東政策上これを認めず問題は複雑化した。家督を巡る争乱が繰り広げられるなかで死去。歌人としても著名であった。<参考文献>『満済准后日記

(長谷川弘道)

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世界大百科事典内の今川範政の言及

【今川氏】より

…足利氏の一族で,駿河を本拠として遠江・三河にも進出した守護大名,戦国大名。足利義氏の子吉良長氏の次子国氏が三河国幡豆郡今川荘を領して今川氏を称したことに始まる。今川氏発展の基礎を作った範国は,足利尊氏に従って行動し,鎌倉幕府滅亡後,遠江・駿河両国守護や室町幕府の引付頭人に任じられた。以後,駿河守護職は今川氏によって世襲され,範氏,氏家,泰範,範政と伝えられた。また,範国の次子貞世(了俊)は長く九州探題として活躍した。…

※「今川範政」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

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