デジタル大辞泉
「島田市」の意味・読み・例文・類語
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
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島田市
しまだし
面積:一三一・〇四平方キロ
県のほぼ中央に位置し、北は標高五〇〇―八〇〇メートルの山嶺を境に榛原郡川根町、東は高根山(八七一メートル)からの山陵などを境に藤枝市および志太郡大井川町、南は高尾山の山嶺を境に榛原郡吉田町・榛原町、西は大井川を隔てて同郡金谷町に接する。南部の大井川両岸に平坦地が開けるが、そのほかの市域の約七割は山林地帯である。JR東海道本線が大井川左岸を通り、六合・島田の二駅がある。国道一号がこのJR線にほぼ並走し、その北側を有料国道一号島田バイパス線が通っている。そのほか島田―川根線・伊久美―元島田線・島田―金谷線・島田―吉田線などの主要地方道や県道が通る。
〔原始・古代〕
市域の大井川左岸の丘陵地帯、同川右岸の牧之原台地とも旧石器時代から平安時代までの多くの遺跡が存在する。旧石器遺跡は伊太谷川左岸の旗指遺跡で石核と剥片が、大鳥遺跡ではナイフ形石器・掻器などが確認されている。牧之原台地では風西・吹木又川・中原・御小屋原・屋敷原・原ノ平・吹木原の各遺跡から細石器・ナイフ形石器・掻器・彫器などが発見されている。縄文時代遺跡は大井川左岸丘陵地帯において、草創期の旗指遺跡で有舌尖頭器などの石器や隆起線文・爪形文・多縄文などの土器が確認され、早期では大鳥遺跡で住居跡が、大津谷川右岸の大草山王前遺跡で押型文土器群が出土している。中期では丘陵頂部の尾川平遺跡で中期初頭の土器と土偶頭部が出土している。中期から後期・晩期の遺跡は、各谷川流域に小規模に点在し、とくに大津谷川流域に多い。このうち調査された神谷東遺跡で中期の集落跡が、野田の波田遺跡で中期後半の住居跡が確認されている。牧之原台地では草創期のものと思われる有舌尖頭器を出土した又川遺跡、早期後半の土器片を出土した竹林寺廃寺遺跡が古い。前期では屋敷原遺跡で木島式III―IV式の住居跡二軒、土坑・集石群が検出されている。中期では尼沢遺跡から中期中葉の円形竪穴住居跡、土坑五五基、打製石斧・石錘も検出された。中期後半の住居跡群を検出した御小屋原遺跡・東鎌塚原遺跡では、長野県の諏訪・伊那地方に類例の多い六角形ないしは多角形の竪穴住居跡を検出して注目された。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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島田〔市〕
しまだ
静岡県中部,大井川の中・下流域に位置する市。1948年市制。1955年六合村,大津村,大長村の 3村と伊久身村の一部,1961年初倉村をそれぞれ編入。2005年金谷町と合体。2008年川根町を編入。中心市街地の島田は大井川扇状地の扇頂部を占め,江戸時代,対岸の金谷とともに大井川川越の宿場町として発展。幕府御用材運搬のための筏流しなどでもにぎわった。第2次世界大戦後は製材,製紙,パルプ,紡績,計器,家具などの工場が立地。牧之原台地の北部に位置し,チャ(茶)の産地として知られる。帯祭は奇祭として有名。島田宿大井川川越遺跡,諏訪原城跡は国指定史跡。東部の智満寺本堂は国の重要文化財,智満寺の十本スギは国の天然記念物に指定されている。JR東海道本線,国道1号線,473号線が通じる。金谷駅は大井川鉄道の起点。面積 315.70km2。人口 9万5719(2020)。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の島田市の言及
【光[市]】より
…同山北麓にある古刹普賢寺は海中より引き揚げられたという普賢菩薩を安置し,初夏の普賢祭は著名。島田市(しまたいち)の熊野神社の祭礼には人形浄瑠璃が奉納される。なお市北部の島田川沿いの小周防は律令制以前の周防国造の本拠地ともいう。…
※「島田市」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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