徳山(読み)トクヤマ

デジタル大辞泉 「徳山」の意味・読み・例文・類語

とくやま【徳山】

山口県南東部にあった市。平成15年(2003)新南陽市、熊毛町、鹿野町と合併し、周南市となる。もと毛利氏の支藩の徳山藩の城下町。湾岸は工業化が明治中期以降から始まり、現在では石油化学工業が発達。→周南

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精選版 日本国語大辞典 「徳山」の意味・読み・例文・類語

とくやま【徳山】

  1. 山口県南東部の地名。旧市名。江戸時代は毛利氏四万五千石の城下町。明治末期に海軍煉炭所(のちの海軍燃料廠)が置かれ、第二次世界大戦後石油化学コンビナートが成立し、工業都市として発展。昭和一〇年(一九三五)市制。平成一五年(二〇〇三新南陽市、熊毛町、鹿野町と合併して周南市となる。

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日本歴史地名大系 「徳山」の解説

徳山
とくやま

大井川中流域左岸の中世の広域地名で、近世の駿河国志太しだ郡の北部(現在の本川根・中川根・川根三町の東部)にあたると考えられる。現山梨県塩山市放光ほうこう寺が所蔵する暦応三年(一三四〇)三月三〇日に書写された大般若経巻九二奥書などに「徳山」とみえ、同経の巻一から巻二〇〇までは建武五年(一三三八)七月二日から暦応四年四月一四日にかけて徳山待月庵で僧知周が書写している。徳山の地名は、現本川根ほんかわね智者山ちしややま神社が所蔵する康永三年(一三四四)四月一五日の棟札銘、貞和三年(一三四七)五月一八日の鰐口銘、文和二年(一三五三)二月日の伊達景宗軍忠状(駿河伊達文書)、至徳二年(一三八五)一一月一五日の足利義満御判御教書写(今川家古文章写)、明徳五年(一三九四)正月二九日の今川泰範書下(駿河伊達文書)、応永九年(一四〇二)一一月二二日の今川家奉行人連署奉書(同文書)などにみえるが、明徳五年の今川泰範書下にみえる徳山身成みなり郷などのように郷名に冠されている例から、広域的な地名であったと考えられ、近世初期の藤川ふじかわ田代たしろ(現本川根町)堀之内ほりのうち地名じな(現中川根町)笹間ささま(現川根町)などの村の貢租関係文書の村名に「徳山」あるいは「徳」「徳郷」「徳之内」が冠されているのは、これらの村が中世に徳山とよばれた地域であったからであろう。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「徳山」の意味・わかりやすい解説

徳山(山口県)
とくやま

山口県中東部にあった旧市名(徳山市)。現在は周南(しゅうなん)市の中央部から南部を占める地域。徳山市は1935年(昭和10)市制施行。1942年久米(くめ)、加見(かみ)の2村を編入、1943年櫛浜(くしがはま)、富田(とんだ)、福川の3町と夜市(やじ)、戸田(へた)、湯野、大津島の4村と合併、1949年(昭和24)富田、福川地区(旧、新南陽市)を分離、1955年向道(こうどう)村、1966年都濃(つの)町を編入。2003年(平成15)新南陽市、熊毛町(くまげちょう)、鹿野町(かのちょう)と合併し、周南市となる。旧徳山市地域は、瀬戸内海沿岸のほぼ中央部に位置し、徳山湾岸の工業地区を中心に、菅野(すがの)ダムのある錦(にしき)川中流の山間農村地区も含む。面積339.83平方キロメートルで2003年の合併まで県下2位の広い市域をもっていた。市街地は東(ひがし)川のつくった扇状地上に発達し、ここをJR山陽本線、国道2号、東海道・山陽新幹線、山陽自動車道がほぼ並行して走る。ほかに国道315号、376号、434号、489号が通る。徳山下松港(とくやまくだまつこう)は国際拠点港湾に指定されており、海陸交通の要地である。

 徳山は中世には野上庄(しょう)とよばれ、1650年(慶安3)毛利就隆(もうりなりたか)が下松から居館を移して徳山と改めてのち、長州藩の支藩徳山毛利氏の小城下町となり、山陽道に沿う宿駅としても栄えた。明治以降は海軍による大嶺(おおみね)地方の無煙炭開発が進み、1904年(明治37)良港徳山湾の沿岸部に海軍煉炭所(れんたんじょ)(後の海軍燃料廠(しょう))が開設されて工業化が始まり、大正以降干拓地にソーダや金属の大工場が進出した。第二次世界大戦後は軍用地跡に出光製油所(いでみつせいゆじょ)が設置され、これを中心に巨大な石油化学コンビナートが生まれ、新南陽市(現在周南市の一地区)、光(ひかり)市、下松市を含めた周南工業地域の中核をなす、県第一の工業都市に発展した。東郊の周南団地は丘陵地225ヘクタールを開発整備した住宅地区で、広い緑地帯をもつ。眺望に優れた太華(たいか)山、黒髪(くろかみ)石の採掘で知られる黒髪島、第二次世界大戦中の人間魚雷「回天」の基地で回天記念館のある大津島などは瀬戸内海国立公園の一部をなす景勝地。中国地方随一の徳山動物園(市立)や西郊夜市(やじ)川上流湯野温泉など行楽地も多い。市美術博物館、総合スポーツセンターや万葉の森などを備えた周南緑地などの文化施設のほか、徳山大学、徳山工業高等専門学校がある。

[三浦 肇]

『『徳山市史』全2巻(1956、1960・徳山市)』


徳山(岐阜県)
とくやま

岐阜県西部、揖斐(いび)郡揖斐川町の一地区。旧徳山村は揖斐川の最上流域にあり、農耕に適する平坦(へいたん)地に恵まれず、下流方面との交通が不便な僻地(へきち)であったが、2008年(平成20)に完成した徳山ダムによって湖底に沈んだ。徳山ダムは全国最大の総貯水量6億6000万トンの多目的ダムで、長い間、補償問題などで着工できなかったが、1983年(昭和58)11月の補償交渉の妥結後、水没する集落の住民は当時の揖斐川町、本巣(もとす)町、糸貫(いとぬき)町、北方(きたがた)町の4町の5地区に集団移転するなどした。村域は1987年(昭和62)、南隣の藤橋村へ編入されたが、藤橋村は2005年(平成17)揖斐川町と合併した。なお、揖斐川町開田(かいでん)にある徳山会館では旧徳山村や徳山ダムについての展示を行っている。

[上島正徳]

『『徳山村史』(1973・徳山村)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「徳山」の意味・わかりやすい解説

徳山
とくやま

山口県南東部,周南市中央部の旧市域。徳山湾に臨む。1935年市制。1955年向道村,1966年都濃町を編入。2003年新南陽市,熊毛町,鹿野町と合体して周南市となった。中心市街地の徳山は毛利氏の城下町として繁栄,明治維新以後一時衰微したが,1904年に海軍煉炭所(のちの燃料廠)が設置されてから活況を取り戻した。第2次世界大戦で壊滅的な戦災を受けたが,戦後は燃料廠跡に製油所が建設されたのをはじめ,ソーダ,セメント,鉄鋼などの工業が復興,今日では周南工業地域の中心となり,西郊の新南陽にかけて石油化学コンビナートが成立。徳山下松港は 1965年に特定重要港湾に,2011年に国際拠点港湾に指定された県下一の工業地域。市街地東部に住宅団地が建設され,北部で小規模な農林業が行なわれる。西日本最大級の菅野ダム,市立動物園,湯野温泉などがあり,八代のナベヅルおよびその渡来地は国指定特別天然記念物。須々万の大玉スギは国の天然記念物に指定。地域の一部は瀬戸内海国立公園に属する。JR山陽本線と山陽新幹線が通り,櫛ヶ浜で岩徳線を分岐。山陽自動車道をはじめ,国道2号線,188号線,315号線など道路網も整備されている。

徳山
とくやま

岐阜県西部,揖斐川最上流部にある旧村名。両白山地の南西斜面にあり,木材,木製品を産出していた。徳山ダム建設に伴い,集落のほとんどが水没するため,住民はすべて離村し,1987年藤橋村に,2005年揖斐川町に編入された。

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百科事典マイペディア 「徳山」の意味・わかりやすい解説

徳山[市]【とくやま】

山口県中南部の旧市。1935年市制。周防灘(すおうなだ)に面する良湾に臨み,徳山藩の城下町として発達。山陽本線,新幹線,山陽自動車道が通じる。1904年海軍煉炭所(のちの燃料廠)がおかれてから海陸交通の要地,ソーダ,鉄板などの工業都市となり,第2次大戦後,燃料廠跡に製油所などが進出,石油化学コンビナートとして発展。隣接していた旧新南陽市の工場群とともに周南石油化学工業地帯を形成する。工業出荷額全体に占める化学分野の比率は54.8%(1993)にものぼる。大島半島の太華山は瀬戸内海国立公園中の景勝地。中国地方一の規模をもつ徳山動物園があり,西部に湯野温泉がわく。2003年4月,新南陽市,熊毛郡熊毛町,都濃郡鹿野町と合併して周南市となる。339.83km2。10万4658人(2000)。

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改訂新版 世界大百科事典 「徳山」の意味・わかりやすい解説

徳山 (とくやま)

岐阜県西端,揖斐(いび)郡の旧村。1987年,藤橋村(現,揖斐川町)に編入。揖斐川最上流域の山村で,標高1200m級の山々が広く分布し,冠峠,高倉峠を境として福井県に接する。中世以降は徳山氏の領地で,徳山城跡が残る。低地に乏しく,集落は川沿いに点在する。農業は自給的で,林業が盛ん。現在,揖斐川に日本最大級の徳山ダムが建設されている。
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徳山(山口) (とくやま)

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