大湾村(読み)わんむら

日本歴史地名大系 「大湾村」の解説

大湾村
わんむら

[現在地名]読谷村大湾おおわん牧原まきばる比謝矼ひじやばし大木おおき

比謝ひーじや村の南にある。比謝ひじや橋の北側に広がる集落。南は比謝ひじや川を挟んで北谷ちやたん間切嘉手納かでいなー(現嘉手納町)。慶長一四年(一六〇九)の島津氏琉球侵入時の三月二五日、運天うんていんの港(現今帰仁村)を船でたった喜安らは酉刻に「大湾渡口」に着いている(喜安日記)。また島津側の「琉球渡海日々記」にも三月二九日夜半運天を出帆した高山衆らの船が船道三〇里ほどの「大ワン」という所に着いたとある。「大ワン」あるいは「大湾渡口」は比謝川河口部の渡具知とうぐちから大湾の比謝橋までの一帯の湊をさすと考えられる。絵図郷村帳に「わん村」とある。琉球国高究帳には「湾村」とみえ、高頭一七三石余、うち田四八石余(うち二八石余が永代荒地)・畠一二五石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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