沖縄県沖縄本島南部の西海岸にある市。那覇市に隣接する。1970年(昭和45)浦添村が市制施行。地名の由来は「ウラオソイ」で、うら(浦)をおそう(襲う)、つまり諸国を支配するという意といわれる。国道58号と330号が走り、バス網はきわめて発達している。沖縄自動車道の西原インターチェンジがある。地形は一般的に東側が高く、西側へ緩傾斜し東シナ海に至る。第三紀層砂岩と第三紀層泥灰岩を基盤として、その上に琉球(りゅうきゅう)石灰岩がのる。土壌は第三紀層泥灰岩の風化土壌であるジャーガルと、琉球石灰岩の風化土壌である島尻(しまじり)マージが市域に広く分布し、肥沃(ひよく)な土壌となっている。12世紀の後半から15世紀初期まで220年間、琉球国の王都であったが、首里(しゅり)へ遷都したのちは衰微した。第二次世界大戦前までは純農村で、イモ、ナスなど沖縄県内で知られる特産品もあった。第二次世界大戦では、沖縄戦の天王山ともいわれる浦添城跡を中心とした攻防戦で、激戦が行われた。戦後は、各地に分散していた村民が帰村し、1946年(昭和21)村役場が再開され、戦災復旧が始まった。市域の5分の1がアメリカ軍用地となり、基地の町と化した。1958年のドル通貨への切換え後は、急速に企業の進出が目だってきて、とくに国道58号沿いに集中した。また、牧港(まきみなと)地区には外国人商社街も形成された。1956年ごろから県都那覇市の衛星都市化が進み、人口が増加した。サトウキビを中心とする農業は年々衰退傾向を示すが、キクを中心とする花卉(かき)栽培、マンゴーの栽培が盛んになっている。また、浦添城跡(国の史跡)や、浦添ようどれ(13~14世紀に琉球を統治した英祖王統の墓)がある。面積19.50平方キロメートル、人口11万5690(2020)。
[堂前亮平]
『『浦添市史』全8巻(1981~1990・浦添市)』
沖縄県,那覇市の北側に接続する都市。1970年市制。人口11万0351(2010)。浦添は〈うらおそい〉(浦々を襲う),つまり諸国を支配する意味で,12世紀半ばから15世紀初めにかけて,首里に王府が移るまで王城の地として栄え,牧港川河口の牧港が琉球最大の貿易港であった。第2次世界大戦には,浦添城跡を中心に牧港と前田を結ぶ断層崖一帯は,沖縄戦最大の激戦地となり,その攻防は沖縄戦の天王山といわれた。2009年現在,市域の14%強はアメリカ軍基地である。戦前の浦添は純農村であったが,戦後過密都市那覇の成長拡大につれて,住宅地化が著しい。また都市機能が浦添に分散し,安謝川,勢理客川流域の工場群は,すでに那覇市の工業地帯と一体化している。西海岸の埋立てが進み,卸売商業団地が形成されており,国道58号線沿いには,各種の企業,商社や貸住宅が建ち並び,住宅・商業都市として発展している。沖縄自動車道西原インターチェンジがある。市域には史跡も多く,浦添城跡,伊祖城跡,浦添ようどれ(英祖王および尚寧王の墳墓),浦和の塔,愛国知祖の塔のある浦添大公園などがある。
執筆者:田里 友哲
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