大瀬木村(読み)おおせぎむら

日本歴史地名大系 「大瀬木村」の解説

大瀬木村
おおせぎむら

[現在地名]飯田市大瀬木

現飯田市の西方鳩打はとうち(一一七三メートル)の東麓、東に傾斜した扇状地上にある。古代は「和名抄」所載の輔衆ふす郷に属したものと推定され、やがて伊賀良いがら庄の内となった。

近世は一貫して飯田藩領。村高は正保四年(一六四七)は五九二石余(信濃国絵図高辻)、天保五年(一八三四)には七〇〇石余(信濃国郷帳)に急増した。近世初期には村の西側山麓よりを羽入野はにゆうの村といい、二ヵ村に分れていた。天正一九年(一五九一)の信州伊奈青表紙之縄帳によれば、大瀬木村二六二石余、羽入野村三二九石余であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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