大町堰
おおまちぜき
相沢川とその支流田沢川の合流点より下流右岸に取入口があり、幹川は相沢川右岸の山麓沿いに平田町の山谷・山谷新田・楢橋・堀野内を経て、酒田市の本川・熊手島・大町を通って新井田川に注ぐ。全長約一六キロ。明和二年(一七六五)には平田郷三九ヵ村の用水であった(「用水刻限割」大町溝文書)。上杉景勝の家臣甘粕備後守景継が、天正一七年(一五八九)東禅寺城(現酒田市)城主となり、相沢川沿いの諸豪族を放逐し、同一九年から慶長三年(一五九八)までの間に完成した。その目的は、東禅寺城の堀の水源を確保すること、平田郷の水不足を解消し、新田を開発することであった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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