日本歴史地名大系 「大窪城跡」の解説 大窪城跡おおくぼじようあと 茨城県:日立市大久保村大窪城跡[現在地名]日立市大久保町四丁目多賀山地丘陵東麓上の中城(なかじよう)を中心とするが、城跡は面影をとどめない。安元三年(一一七七)常陸大掾平宗幹が城跡西の愛宕(あたご)山に館を構えたのに始まると伝える(日立市史)。応永年中(一三九四―一四二八)奥州石川(いしかわ)郡泉(いずみ)城(現福島県いわき市)城主石川有光の一四世詮光の三男治部少輔茂光が、佐竹義信・義盛に仕えて城跡と愛宕山の間の天神(てんじん)山に館を構えて大窪氏と称したといわれ、天正年中(一五七三―九二)中城に東西五〇間余・南北一六間余の規模の本郭を置き、二の郭・三の郭を構えた梯郭式の平城を築いたとされる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by