日本歴史地名大系 「大久保村」の解説
大久保村
おおくぼむら
元和三年(一六一七)「軽免・大窪・青梨三ケ村」二四三石が花房右馬助に与えられる(記録御用所本古文書)。寛文郷帳では田方一一〇石余・畑方一千五六石余で幕府領・旗本戸田領などの四給。
大久保村
おおくぼむら
- 埼玉県:富士見市
- 大久保村
大久保村
おおくぼむら
大久保村
おおくぼむら
- 茨城県:日立市
- 大久保村
東側半分は海岸段丘面、西半分は多賀山地丘陵で、北東を
多賀山地丘陵東縁上に縄文時代中期の
大久保村
おおくぼむら
大久保村
おおくぼむら
飯野村の北東、
大久保村
おおくぼむら
大久保村
おおくぼむら
大久保村
おおくぼむら
- 静岡県:磐田市
- 大久保村
大久保村
おおくぼむら
大久保村
おおくぼむら
大久保村
おおくぼむら
大久保村
おおくぼむら
- 長野県:駒ヶ根市
- 大久保村
天竜川東岸の山麓、北は
諏訪社上社の大永四年(一五二四)の磯並宝殿及び御柱造宮等の課役を務めたが、「磯並造宮料請取日記」(御造宮日記之写)には、「大窪分 正物九斗一升七合、御ほこの本三斗、釘代十文、朝暮米六升、大豆六升、草六束請取所実証也」とみえる。
大久保村
おおくぼむら
- 山形県:村山市
- 大久保村
最上川西岸にあり、対岸は
大久保村
おおくぼむら
- 栃木県:足利市
- 大久保村
渡良瀬川の左岸。北は
大久保村
おおくぼむら
大久保村
おおくぼむら
大久保村
おおくぼむら
大久保村
おおくぼむら
- 長野県:小諸市
- 大久保村
古代より滋野氏一族の支配下にあったが、「牛にひかれて善光寺参り」の伝説のある古刹布引山
大久保村
おおくぼむら
大久保村
おおくぼむら
- 新潟県:糸魚川市
- 大久保村
大久保村
おおくぼむら
大久保村
おおくぼむら
大久保村
おおくぼむら
大久保村
おおくぼむら
大久保村
おおくぼむら
大久保村
おおくぼむら
宇久島の北西部、
大久保村
おおくぼむら
大久保村
おおくぼむら
- 栃木県:栃木市
- 大久保村
大久保村
おおくぼむら
神科台地の北部で、
元和八年(一六二二)真田氏が
大久保村
おおくぼむら
大久保村
おおくぼむら
大久保村
おおくぼむら
大久保村
おおくぼむら
- 広島県:庄原市
- 大久保村
江戸時代には広島藩領。「芸藩通志」に「古は、永末村の内にて大久保谷といひけるよし」とあり、永末村の内に含まれていた。一説には永禄年中(一五五八―七〇)に村民の対立が原因で別村となったともいうが(比婆郡誌)、元和五年(一六一九)の備後国知行帳や元禄郷帳でも永末村に含まれており、分村の時期は不明。
大久保村
おおくぼむら
大久保村
おおくぼむら
大久保村
おおくぼむら
大久保村
おおくぼむら
大久保村
おおくぼむら
大久保村
おおくぼむら
大久保村
おおくぼむら
大久保村
おおくぼむら
大久保村
おおくぼむら
大久保村
おおくぼむら
大久保村
おおくぼむら
大久保村
おおくぼむら
大久保村
おおくぼむら
大久保村
おおくぼむら
大久保村
おおくぼむら
大久保村
おおくぼむら
大久保村
おおくぼむら
大久保村
おおくぼむら
大久保村
おおくぼむら
大久保村
おおくぼむら
- 山形県:上山市
- 大久保村
大久保村(岩野村)
おおくぼむら(いわのむら)
大久保村
おおくぼむら
- 千葉県:市原市
- 大久保村
大久保村
おおくぼむら
大久保村
おおくぼむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報