天宝喜村(読み)あまぼうきむら

日本歴史地名大系 「天宝喜村」の解説

天宝喜村
あまぼうきむら

[現在地名]茎崎村天宝喜・宝陽台ほうようだい

稲荷いなり川左岸の台地上にあり、北は高崎たかさき村。寛永六年(一六二九)牛久藩領となり(寛政重修諸家譜)、「寛文朱印留」に「天宝喜村野銭高ニ入」とある。元禄郷帳の村高は一一七石余で、幕末は牛久藩領一四八石余(各村旧高簿)。寛永一〇年の検地帳(牛久町史)によると家数は二七で、うち一町以上の耕地を有する者が一四、五反以下が一三。安政三年(一八五六)の年貢割付状(飯田家文書)によれば、田畑の反別は二八町六反余。水戸街道牛久うしく宿(現牛久町)の定助郷村で、文化二年(一八〇五)の助郷勤高は六五石(「助郷差村被仰付御請書写」野口家文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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