日本大百科全書(ニッポニカ) 「天童正覚」の意味・わかりやすい解説
天童正覚
てんどうしょうがく
(1091―1157)
中国、宋(そう)代の曹洞(そうとう)宗の僧。丹霞子淳(たんかしじゅん)(?―1119)の法嗣(はっす)(弟子)。諡号(しごう)は宏智禅師(わんしぜんじ)。俗姓は李(り)氏。隰(しつ)州(山西省)の人。11歳で出家、14歳で具足戒を受け、18歳で遊行する。23歳のとき丹霞山(たんかざん)(河南省)で子淳に参じ、嗣法した。のち泗(し)州(安徽(あんき)省)普照寺、舒(じょ)州(安徽省)太平寺、長蘆山(ちょうろざん)(江蘇(こうそ)省)崇福院などを歴住し、1129年(建炎3)天童山(浙江(せっこう)省)景徳寺(天童寺)に入り、以後約30年間住してその復興に尽力した。その禅風は、臨済(りんざい)宗楊岐(ようぎ)派の大慧宗杲(だいえそうこう)の主唱する看話禅(かんなぜん)に対して黙照禅(もくしょうぜん)を説く。著書に『宏智覚和尚語要(わんしかくおしょうごよう)』1巻、『宏智覚禅師語録』4巻、『宏智広録』9巻があり、とくに『天童百則頌古(じゅこ)』は世に知られる。紹興(しょうこう)27年10月7日寂。
[松田文雄 2017年3月21日]