改訂新版 世界大百科事典 「大慧宗杲」の意味・わかりやすい解説
大慧宗杲 (だいえそうこう)
Dà huì Zōng gǎo
生没年:1089-1163
中国,宋代中期の禅僧。臨済宗楊岐派,第5代。妙喜,仏日,普覚禅師ともいう。安徽省宣州の人,姓は奚。はじめ東京天寧寺で黄竜の兜率(とそつ)に学び,次いで圜悟克勤(こくごん)に参じて,その法をつぐ。杭浙の名山に歴住し,趙州無字による公案参究を主張して,曹洞宗の真歇清了を黙照の邪禅として攻撃,多数の士大夫の参禅をかちとる。師の圜悟が編する《碧巌録》を焼いたというのは,禅が文字に流れるのを戒める意を含む。張九成の帰依を得たことから,一時はその政争に連座して,衡州と梅州に追放されるが,再び育王山や径山に住して,天子や士大夫のうちに絶大の支持を得,弟子の活動もまためざましく,相次いで入内,説法するものがあり,さらにその弟子たちによって,五山十刹制度がつくられる遠因をなした。頌古,普説,法語,書など著述も多く,滅後ただちに入蔵の勅許をうけたが,その墨跡は,生前より士大夫によろこばれ,日本にも舶載された。流罪中に編したという《正法眼蔵》は,道元の同名の書の祖本。
執筆者:柳田 聖山
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報