日本歴史地名大系 「天草六ヶ浦」の解説 天草六ヶ浦あまくさろつかうら 熊本県:天草郡天草六ヶ浦志岐(しき)六ヶ浦ともよばれる。中世志岐氏の根拠地であった。下(しも)島の北半部沿岸にあった佐伊津沢張(さいつさわはり)(現本渡市佐伊津町)・鬼池(おにいけ)(現五和町鬼池)・牟田(かまむた)(五和町御領か)・大(おお)浦(現苓北町坂瀬川)・須志(すじ)浦(現五和町通詞)・志木(しき)浦(現苓北町志岐)の六つの浦。このうち大浦を現有明町大浦(おおうら)に、須志浦を現有明町須子(すじ)に比定する説もあり、この説によれば志岐氏の支配は下島のみならず、上(かみ)島の北半部にも及んだことになる。元久二年(一二〇五)七月一九日、藤原(志岐)光弘は佐伊津沢張以下の天草郡内六ヶ浦の地頭に補任され、建暦二年(一二一二)八月二二日もとのように同職に補任されている(「関東下文案」志岐文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by