埼玉県南東部にある市。旧北足立(きたあだち)郡足立町が1970年(昭和45)市制施行して改称。市名は古代の新座(にいくら)郡の志木郷の郷名に由来する。東武鉄道東上線が通じ、東京地下鉄有楽町線・副都心線と相互直通運転によって都心と直結している。また、北端を国道463号(浦和所沢バイパス)が走る。市域の北東は荒川低地、南西は武蔵野(むさしの)台地に属し、台地の縁を新河岸(しんがし)川が流れる。江戸時代は引又河岸(ひきまたかし)と称した河岸場であり、3、8の日には六斎市(ろくさいいち)も立って栄えた。明治以後、鉄道交通の発達に伴い、舟運は衰え、近隣の在郷町として位置するにすぎなかったが、第二次世界大戦後、とくに1960年以降、東京のベッドタウンとしての性格が強くなり、機械、輸送機械などの大工場の進出も目だつようになった。面積9.05平方キロメートル、人口7万5346(2020)。
[中山正民]
『『志木市史』全12巻(1981~1990・志木市)』
埼玉県南部の市。1970年市制。人口6万9611(2010)。武蔵野台地北東縁と荒川西岸の低地よりなる。江戸時代は奥州から相州,甲州へ通じる脇街道の宿場町で,引又(ひきまた)町と称し,周辺農村の物資の集散地として2・7の六斎市が立った。新河岸(しんがし)川につくられた引又河岸からはサツマイモ,麦,米などのほか,甲州のブドウや和紙なども荒川を通じて江戸へ積み出され,その商圏は所沢,青梅,甲府方面まで及んだ。東武東上線志木駅(1914開業)北口駅前通りの市場坂あたりが市の立った所である。もとはこの通りの真ん中に野火止用水(伊豆殿堀)を流し,伊呂波樋(いろはどい)と呼ばれる懸樋で新河岸川をこえて宗岡地区の水田に引水していたが,今は暗渠となり,新河岸川を渡る県道にいろは橋の名だけ残る。東京都心から30kmにあるので,1960年代以降住宅が激増し,新河岸川の支流柳瀬川沿いの低地にもニュータウンが建設され,79年には柳瀬川駅も開設された。90年の国勢調査によると,都内への通勤者は県内への通勤者の2倍近くに達し,典型的な近郊住宅都市となっている。
執筆者:新井 寿郎
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