天観寺山窯跡群(読み)てんかんじやまようせきぐん

日本歴史地名大系 「天観寺山窯跡群」の解説

天観寺山窯跡群
てんかんじやまようせきぐん

[現在地名]小倉南区朽網 狸山

曾根そね平野の南端、独立丘陵上にある。同丘陵は中央を東から西に入る谷によりU字形を呈するが、南北二つの東西に延びる丘陵のそれぞれ南北両斜面に窯が造られている。全部で一二基が確認され、昭和三一年(一九五六)にIV区一号(宇土窯跡)、同四五年にIII区一号(小迫窯跡)、同四九年にI区の二基を除いたI―III区の九基を調査。いずれも山腹の等高線に直交する窖窯で、全長一〇メートル前後、傾斜角度二〇度前後で、徳利窯とよばれる中膨らみの平面形をなし、燃焼部と焚口部の区分が不明瞭で、操業ごとに焚口が奥に後退し、II区一号窯では〇・七メートルも短くなっている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む